<御朱印(納経印)>
右には、熊野権現第2王子社。
中央は、阿倍王子神社の文字。
ヤタガラスの刻印が押されています。
<タイプ>
書置き
<料金(初穂料/納経料金)>
500円
<授与場所>
社務所
(時間)
09:00~17:00
<御由緒>(HPより抜粋)
当神社の縁起絵巻「摂州東成郡阿倍権現縁記(せっしゅうひがしなりぐんあべごんげんえんぎ)」によれば、当社は仁徳天皇によって創建され、平安時代の初期、天長3年(826)弘法大師空海が、淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅命で当社に参り、疫難退散の祈祷を修して功なり、疫病を治癒する寺という意味の「痾免寺(あめんでら)」(通阿倍)の勅額(ちょくがく)を朝廷より賜たまわったとされています。
阿倍野は古代の豪族「安倍氏」の居住した土地で、奈良時代には安倍氏の氏寺として阿部寺が存在しました。
この寺は口碑に「阿部寺千軒坊」と残される程の大寺であったと伝えられています。
ところが平安時代になると、安倍氏が朝廷での勢力を失い、氏寺も四天王寺に併合される事になりました。
残された安倍氏の氏神社でしたが、当時熊野信仰が興り、途中の街道に熊野九十九王子と呼ばれた沢山の王子社が出来ると、当社の所在地が四天王寺と住吉大社の丁度中間に存在し、王子社の立地に相応(ふさわ)しいお宮でしたので、当社の西門筋に熊野街道が整備され、熊野王子社の一つとなりました。
そこで当社は阿倍野に鎮座しますので、阿倍野王子と呼ばれました。
王子社の中には、熊野信仰の衰退と共に退転したお宮も有りますが、幸い当社は中世以降、「阿倍野村の氏神」として信仰され、大阪府下では唯一の旧地現存の王子社して現在に至っております。
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当神社の縁起絵巻「摂州東成郡阿倍権現縁記(せっしゅうひがしなりぐんあべごんげんえんぎ)」によれば、当社は仁徳天皇によって創建され、平安時代の初期、天長3年(826)弘法大師空海が、淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅命で当社に参り、疫難退散の祈祷を修して功なり、疫病を治癒する寺という意味の「痾免寺(あめんでら)」(通阿倍)の勅額(ちょくがく)を朝廷より賜たまわったとされています。
阿倍野は古代の豪族「安倍氏」の居住した土地で、奈良時代には安倍氏の氏寺として阿部寺が存在しました。
この寺は口碑に「阿部寺千軒坊」と残される程の大寺であったと伝えられています。
ところが平安時代になると、安倍氏が朝廷での勢力を失い、氏寺も四天王寺に併合される事になりました。
残された安倍氏の氏神社でしたが、当時熊野信仰が興り、途中の街道に熊野九十九王子と呼ばれた沢山の王子社が出来ると、当社の所在地が四天王寺と住吉大社の丁度中間に存在し、王子社の立地に相応(ふさわ)しいお宮でしたので、当社の西門筋に熊野街道が整備され、熊野王子社の一つとなりました。
そこで当社は阿倍野に鎮座しますので、阿倍野王子と呼ばれました。
王子社の中には、熊野信仰の衰退と共に退転したお宮も有りますが、幸い当社は中世以降、「阿倍野村の氏神」として信仰され、大阪府下では唯一の旧地現存の王子社して現在に至っております。
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所在地
大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4
主祭神
熊野王子神(伊弉諾命・伊弉冉命・速素盞嗚命)
応神天皇
創建
仁徳天皇時代(393年~427年)
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<参拝日>
2021年(令和3年)9月20日(月・祝日[敬老の日])
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<記事_Article>
天王寺(あべの橋)駅前から王子町王子神社前バス停の前にある神社です。
正面は、ビルの様な建物で鳥居はあります。
1階に社務所があり、こちらで御朱印をいただけます。
<八咫烏(やたがらす)>