弾丸旅⑤
<定観:宇佐神宮>
~2022月2月15日(火)~
10:27 [10:27~11:20(11:22出発)]
大分交通定期観光バス「国東半島史跡巡り」の最初の訪問は、宇佐神宮。
宇佐神宮は、聖武天皇が神亀二年(七二五年)に創建。
全国4万の八幡宮の総本社で、奈良時代から朝廷の崇敬厚く、往時、国東半島の六郷満山を形成、統括し、12世紀頃には九州一円の荘園領主であった。
社殿は古い神社本殿の一形式を伝え、「八幡造」と呼ばれ国宝に指定されています。
~DATA~
宇佐神宮(うさじんぐう)
主祭神:
・八幡大神(一之御殿)
・比売大神(二之御殿)
・神功皇后(三之御殿)
創建:神亀2年(725年)
滞在時間約50分(10:27~11:20)
駐車場近くの鳥居を抜けると左側に蒸気機関車が展示されています。
この機関車は、1965年まで宇佐神宮と現・JR宇佐駅を結ぶ大分交通参宮線で使われた蒸気機関車です。
大分交通の宇佐参宮線は1916(大正5)年に開通し、豊後高田、宇佐駅、宇佐神宮間を結んでいました。
1965(昭和40)年に廃線となり、この機関車も引退。
この機関車は1889(明治22)年に開設された九州鉄道(国鉄の前身)がドイツ・クラウス社から3形式50両を輸入。
1948(昭和23)年に大分交通に売却。
同タイプの車両は九州では唯一、国内では3両しかないようです。
機関車左側に見た後、寄藻川に架る朱色の神橋を渡ります。
横から見ると途中から太鼓橋になっています。
少し歩くと正面に大鳥居が建っています。
この大鳥居手前右に黒男神社が鎮座しています。
ご祭神は、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)。
仁徳天皇など歴代の天皇に仕え、八幡大神に奉仕された功労によりお祀りされているそうです。
大鳥居を抜けると右側には宝物館が見えてきます。
宝物館は、昭和60年(1985)10月6日、第253回の 勅使奉幣大祭を斎行するにあたり、この記念事業として 宝物館及び参集殿が建設されました。
館内には、国指定文化財、県指定文化財等数百点の文化財を収蔵、展示公開しています。
今回は、時間が無く立ち寄りはできませんでした。
現在、平日諸事情で閉館中のようです。(入館料:大人300円)
さらに少し歩くと臨時の手水所が設置。
臨時手水所の左側後方には、絵馬堂があります。
内部には絵馬などが掛かっていました。
この奥には、菱形池があり、能舞台もあります。
(時間がないため、先を急ぎます)
左側に絵馬堂がありますが、右側は、角授与所・御朱印所があります。
今回ここで御朱印を拝受。
現在は書置きのみ。
神仏習合の特別朱印(初穂料500円)を頂きました。
このあと境内を歩くと前方奥に下宮があります。
しかし、参拝順序は左の鳥居を抜けて上宮へ向かいます。
こちらの階段を登ると途中に似たような三角形の石が二つ並ぶ「夫婦石」があります。
同じツアーの女性の方が足を揃えて写真を撮っていました。
二つの石が寄り添うように並ぶことから縁起が良いといわれているようです。サイズも他の石より大きめで見つけやすいですが、石段を登り少し疲れる場所にあるのでスルーしてしまいそうです。
(今回は、御存じの方が撮影されていたので横から写真を撮りました)
さらに歩き、宇佐鳥居を越えた向こうには何かパネルらしき絵があります。
宇佐鳥居を超えると本来なら西大門(文禄1592年頃改築)がありますが、現在令和の大修理中です。(令和7年完了予定)
現在は、このような写真になっていました。
左の入口を抜けて振り返ると、またパネル。
西大門を抜けると正面に上宮に到着。
この辺りは、小椋山(亀山)山頂になります。
左から順に、一之御殿、二之御殿、三之御殿。
<本殿(国宝)>
宇佐神宮の建築様式は八幡造(はちまんづくり)とよばれています。この八幡造は、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続した形で、両殿の間に一間の相の間(馬道)がつき、その上の両軒に接するところに大きな金の雨樋(あまどい)が渡されています。桧皮葺(ひはだぶき)で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並んでいます。奥殿を「内院」・前殿を「外院」といいます。内院には御帳台があり、外院には御椅子が置かれ、いずれも御神座となっています。御帳台は神様の夜のご座所であり、椅子は昼のご座所と考えられています。神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動することが八幡造の特徴です。また、八幡造のもととなったのは、二之御殿の脇殿・北辰神社の建物ではないかといわれています。一之御殿が神亀2年(725)、二之御殿が天平5年(733)、三之御殿が弘仁14年(823) にそれぞれ建てられました。(公式HPより)
中央には、南中楼門が建っています。
<南中楼門(勅使門 ちょくしもん)>
神宮内郭の南正門。勅使門で通常は開かずの門です。入母屋造桧皮葺楼門、正面5.34m、側面3.17m、背は10.6m。高良大明神、阿蘇大明神の二神を御門の神としてお祀りしています。(公式HPより)
こちらでは、「二礼・四拍手・一礼」の作法です。
上宮には、大元神社遥拝所があります。
大元神社は、御許山の9合目にあります。
宇佐神宮の第二殿に祀られている「比売大神」の原姿とされる三女神がこの御許山に降臨したとされ、山全体が御神体と言われています。
大元神社には拝殿はありますが、本殿はありません。
奥に鳥居があり、その先が禁足地となっていて、山頂には三女神が依代として降臨したという3個の巨石が祀られています。
神社から50m程下った南側の山道には自然石の手水場(ちょうずば)があり、そこで手を清めてから参拝するそうです。
大元神社へは車でも登れますが、登山口から30分ほど歩いて登るのがオススメのようです。
遥拝所から御許山が見えました。
10:58
上宮でゆっくりし過ぎたので、西大門に戻り下宮へ。
途中には若宮神社がありました。
<摂社 若宮神社>
天長元年(824)同7年、ご神託があって、仁壽2年(852)に造営使を派遣して造営創祀されました。応神天皇の若宮であられる大鷦鷯命(仁徳天皇)と皇子をお祀りしています。
除災難・厄難の神様として有名です。(公式HPより)
付近には、下宮参拝のご案内がありました。
古来、「上宮」は国家の神。「下宮」は民衆の神だったようです。
この先、左右に朱色の橋桁が続き下宮方面に進みます。
歩き進むと鳥居があり、その奥には下宮です。
鳥居をくぐると下宮です。
<下宮(御炊宮 みけみや)>
嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮のご鎮座となりました。
「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以です。下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮されます。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきました。(公式HPより)
下宮をあとにして帰る途中にあった高倉。
裏側から見た高倉
<高倉>
祭器具等を納める高倉の板倉です。
寄棟造り桧皮葺。
下は円柱で正面二間(4.84m)、側面二間(3.95m)、柱間は黒塗りの板壁で、引込み戸を設けています。
前面のみ持送りで縁を設け、擬宝珠高欄を備えています。
床上が倉の本体です。(公式HPより)
下宮から駐車場方面に進むとすぐに祓所が見えてきます。
<祓所(はらいじょ)>
勅使奉幣祭をはじめ大祓式などの祭典の祓の儀を行う所です。この前の広場を古くより御輿掛(おこしかけ)と称し、宮司の興を倚するところです。(公式HP)
祓所から近い場所に八坂神社と弥勒寺跡の看板が見えてきます。
時間があまりないので、奥に見える八坂神社のみ参拝しました。
ここには、八坂神社・養蚕神社がありました。
<八坂神社>
御祭神:須佐之男命
須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。八坂神社の西側に昔の神宮寺弥勒寺の金堂や講堂の旧跡があります。この神社の前で、毎年2月23日に鎮疫祭(ちんえきさい)が行われます。(宇佐神宮HPより)
<養蚕神社>
御祭神:天照皇大神
八坂神社と並んで祀られています。
この近くに呉橋などもありますが、時間がないため集合場所の駐車場へ戻りました。
1時間弱の滞在でしたが、境内は広く見所が多いところでした。
駐車場付近にあった案内図を見れば、周辺には色々な見所があるようです。
<続:弾丸旅⑥>