弾丸旅⑥
<定観:富貴寺(ふきじ)>
~2022月2月15日(火)~
11:45 (11:45~12:20「昼食~12:50出発」)
宇佐神宮から観光バスで23分。
国東六郷満山霊場の第2番札所・富貴寺に到着。
この富貴寺は六郷満山の祖ともいえる仁聞菩薩が開山したお寺(伝説)です。
【拝観料】
一般・高校生500円/小・中学生150円
富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院。
中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。
本尊の阿弥陀如来像は970丈にも及ぶ一本の榧の巨木から六郷満山寺院を開基したとされる仁聞菩薩の手によって造られた、と伝えられています。
大堂内には極楽浄土の世界を描いた壁画が施されており、風化が激しいが、極彩色で描かれていたという調査結果から県立歴史博物館に忠実に再現されています。
他にも大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる、梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆、室町時代の国東塔等があり、かつての富貴寺の繁栄ぶりを偲ぶことができます。
~DATA~
名称 富貴寺(ふきじ)
所在地 大分県豊後高田市田染蕗2395
山号 蓮華山
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来(重要文化財)
創建年 伝・養老2年(718年)
開基 伝・仁聞
札所 国東六郷満山霊場 第2番
拝観料 大人500円
<由緒>
718年、仁聞菩薩が開創したと伝わっています。(詳細不明)
宇佐神宮大宮司の到津家に伝わる古文書(1223年)に『蕗浦阿弥陀寺(現・富貴寺)は当家歴代の祈願所である』という記載があることから、平安時代に宇佐神宮大宮司家が創建したと推定されています。
その後、南北朝時代に六郷満山の末寺となったようです。
1573~1592年、戦乱により多くの仏教寺院が破壊されますが、富貴寺は難を免れたようです。
滞在時間約30分+昼食30分。
参道階段左には六地蔵石憧と十王石殿があります。
<六地蔵石憧(せきどう)>
(六角石柱に彫られた地蔵尊)
・江戸時代建立
・凝灰岩
・高さ 215cm
火袋がないため、灯篭ではなく石憧(せきどう)[石造建築物]です。
龕(がん)部は六角形で、それぞれの面にお地蔵さんが刻まれています。
<十王石殿>
・室町時代建立
・凝灰岩
・高さ 130cm
・大分県指定有形文化財
参道の両サイドには一対の十王石殿がありました。
右側にもあります。
一番左にあるのは、庚申塔。
(1730年建立、高さ160cm)
これらの裏側を見ると無地になっており、参拝者が見える箇所だけ刻まれているようです。
階段を上がると仁王門です。
<仁王門>
・1978年再建
・瓦葺 三間一戸 入母屋造
・仁王像 江戸中期作(像高173cm)
扁額には、安養閣と書かれています。
安養閣とは大堂(阿弥陀堂)の別称のようです。
仁王門をくぐると右側に受付があり、拝観料(500円)を払います。
さらに階段を上ります。
上に到着すると日本三大阿弥陀堂のひとつ大堂が目の前に。
<大堂>
・平安時代後期建立
・瓦葺 宝形造
・国宝
宇治・平等院鳳凰堂、平泉・中尊寺金色堂とともに日本三大阿弥陀堂の1つです。(現存する九州最古の木造建造物で国宝指定)
お堂は正面が3間、側面が4間。
通常、宝形造は正方形の建物が多いですが、こちらは奥行きが長くなっています。
堂内は、撮影禁止です。
(写真はパンフレットより)
また、雨天などは内部公開されないようです。
<阿弥陀如来坐像>
・平安時代後期作
・榧材 寄木造
・像高 85cm
・国指定重要文化財
阿弥陀様の背後には浄土図の壁画が描かれています。
堂内は暗く、ガイドさんが持つペンライトで壁画などの説明をしていただきました。柱にも模様があったようですが、当時子供が触り、今では殆ど見えない状況です。
ちなみに、この阿弥陀様は巨大なカヤの木で造られたそうです。
970丈(2,939m)およそ3kmの巨大な木だった伝説があります。
現在、大分県歴史博物館で色彩などを調査を行い、再現した様子が見れるようです。(写真はHPより)
屋根瓦のひとつひとつに観音様らしき絵がありました。
大堂周辺には、国東塔があります。
<国東塔(くにさきとう)>
・室町時代建立
・安山岩
・高さ 319cm
・豊後高田市指定有形文化財
国東塔は、塔身の下に蓮華座がある宝塔のことです。
国東半島で独自の石塔で、納経・家門の繁栄祈願・墓標・生前供養・追善供養などを目的として造られた塔のようです。
現地には、説明が書かれた看板もありました。
さらに、大堂の横には石造の笠塔婆(かさとうば)がありました。
<笠塔婆(かさとうば)>
・鎌倉時代建立
・安山岩
・広増 作
・大分県指定有形文化財
笠塔婆は、角柱状または板状の塔身に屋根(笠)をのせたものです。
さらに近くに十王石仏がありました。
十王とは地獄の裁判官です。
<十王石仏>
・室町時代作
・豊後高田市指定有形文化財
<Memo>
仏教の世界では、人間は死後の世界に行く前に、「中陰(ちゅういん)」と呼ばれる存在となって、十王の裁判を受けることになります。裁判は死後7日目から三回忌まで10度行われ、内容によって様々な地獄に落されてしまいます。源信の『往生要集』以降、生前に十王を信仰することで罪を軽減する「預修(よしゅう)」が流行し、その考え方は中世以降、国東半島にも持ち込まれました。
中世の日本では、十王に対応した仏様を信仰することが流行し、十王に3尊を追加する十三仏という日本独自の信仰に変化していきました。十王の中でも閻魔大王が特に有名ですが、閻魔大王に対応する仏様は「地蔵菩薩」であると考えられています。
十王石仏の隣には奪衣婆さんの石仏もありました。
この十王石仏と参道の十王石殿は、大堂内の極楽浄土の世界と対比して造られたものと思われます。
大堂(阿弥陀堂)の裏側の石段を2~3分登って行きます。
手前に薬師岩屋の案内板がありました。
階段を登ると、岩をくり抜いた中に薬師如来が鎮座した「奥の院 薬師岩屋」に到着。
近くで、参拝しました。
このあと順路に白山社と書かれた方向に2~3分進むと神仏習合、山岳信仰の雰囲気の場所に到着。
奥の御社殿は、覆屋が付いたタイプです。
こちらで参拝。
付近に白山社(六所権現)の説明板が設置されていました。
その後、下りの階段を降り、鳥居をくぐり富貴寺境内を後にしました。
12:20
富貴寺の門前にある御食事処「榧の木」さんで昼食。
こちらでは、定期観光バスの方向けに事前にバス車内で食べたい食事をガイドさんに言っておきます。
その後、ガイドさんが予約して頂いているので直ぐに食べることができました。
ちなみに、この定期観光バスで唯一別料金が必要なのが、昼食代。
現地で弁当を持ち込んでも可能とのことでしたが、周囲を見る限りこのお店の他にあと1-2軒のお店があるかどうか(営業しているか不明)の場所です。
今回のツアー客は、手延べだんご汁または、そばの定食(各税込1,100円)を選びます。
私は、だんご汁を予約。
車内で精算時に使う食券をいただき、お店でいただきます。
注文の手延べだんご汁つき「田舎定食」。
精進料理風のヘルシーメニューで、大分名物だんご汁をメインに刺身こんにゃく、煮付など味も良かったです。
~田舎定食~(税込1,100円)
【お品書き】
・野菜・山菜の煮付
・刺身こんにゃく
・酢の物
・白和え
・豆腐料理
・漬物・梅干し
・くにさきだんご汁
・ごはん
食事時間は、約30分。
ここでは、富貴寺の参拝が約30分(11:45~12:20)、食事が30分(12:20~12:50)になっていました。
食事を終えて、次は真木大堂へ。
<続:弾丸旅⑦>