とらすず日記

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南九州の旅②(2日目)

南九州の旅(2日目)
◆霧島から宮崎へ◆
~2023年6月6日(火)~

二日目は、大雨の霧島神宮からです。
朝6時半から温泉の利用が可能なので1階の温泉へ。

温泉

06:30
源泉が流れ続く湯舟に浸かっていると、もう一人の宿泊者が入浴に来ていました。
外は大雨。
後で入ってきた方が5分位浸かった後、出ていき、私も10分位で浸かって部屋に戻りました。

07:30
宿の朝食は7時半から。
夕食と同なじ1階の大広間へ。

3名が同じ時間位に部屋に入ると一人の高齢風の女性が声を掛けられ、霧島連山の登山の予定だったようです。
しかし、大雨のため予定を変更するようでした。

朝食

朝食は、冷えたアジフライ、生卵、納豆など。
卵と納豆があれば朝食として十分だったので、頂きましたが、夕食で思っていましたが、襖を開けると調理場・食堂・玄関先がある食事会場。
空気が悪く、生臭い臭いがするので、美味しく頂いた気分ではありませんでした。

07:53-08:15
食事を終え、大雨の中ですが、霧島神宮へ参拝。
宿の横の橋を渡るとすぐに霧島神宮へ続く階段があります。

霧島神宮へ続く階段

階段を登り、参道を歩くと霧島神社が右手に見えてきます。

参道

時間は8時。大雨。
神職さん、巫女さんの出勤時間のようで、数名の方が社務所らしき建物から一斉に本殿や神楽殿へ向かい、個々の御社で拝んでる光景が見られました。

拝殿

御朱印は、社務所で拝受。(直書/500円)

御朱印 霧島神宮

同時に山神社の御朱印(書置/500円)も拝受。

御朱印 山神社

山神社は本殿左の山道を上がったところにあるようですが、大雨だったので、途中で引き返しました。

山神社方面の道

霧島神宮
きりしまじんぐう

鹿児島県霧島市にある天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと) <『日本書紀』第九段第八の一書>を祀る神社。

<御祭神>
【御主神】
 ▶天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
(アメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト)
相殿神
 ▶木花開姫尊(お后)
 コノハナサクヤヒメノミコト)
 ▶彦火火出見尊御子神
 ヒコホホデミノミコト
 ▶豊玉姫尊(御子神のお后)
 トヨタマヒメノミコト) 
 ▶鵜茅葺不合命(御孫神)
 ウガヤフキアエズノミコト) 
 ▶玉依姫尊(御孫神のお后)
 (タマヨリヒメノミコト) 
 ▶神倭磐余彦尊(御曽孫神)
 (カムヤマトイワレヒコノミコト)
<御由緒>
旧記によると、欽明天皇の御宇(西暦五四〇年)、天祖天照大神の御神勅を畏み戴き、三種の神器を奉持して高千穂峯に天降り、皇基を建て給うた肇国の祖神天孫瓊瓊杵尊を祀る社として、峯のほど近く脊門丘に建立されたが、度々噴火により炎上したので、今から五百年ほど前現在地に遷座された。現社殿は、二十一代島津吉貴公が正徳五年に造営したもので、その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。殿内は漆塗りで二十四孝の絵画や龍柱があり、床には鴬張りが施されている。
明治七年二月「霧島神宮」と社号を改定、官幣大社に列格された。昭和天皇は二度にわたり御神拝されている。
高千穂峯頂上には神代の旧物「天の逆鉾」があり、一帯の「みやま霧島」は有名である。
(鹿児島県神社庁サイトより)
===================
主祭神:天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
社格等:式内社(小)論社、旧官幣大社別表神社
創建:伝欽明天皇朝(6世紀)、伝欽明天皇元年(540年)
本殿の様式:入母屋造

 

大雨が降り続き、帰り際には10名程の2組の団体客が大型観光バス(2台)から参拝に来ていました。

少し騒がしくなってきたので、本殿から少し下った右側の神楽殿を経由して、滝のように流れる参道を踏みしめながら30分程で宿に戻りました。

楽殿

宿に戻り、小休憩後に宿をチェックイン。

08:45
穏やかな女将さんが乗車するバス乗り場を教えて頂き、10分前にバス停へ。

08:58
霧島いわさきホテル方面から来たバスは、10名程の乗客を乗せて到着。(霧島神宮前で2名下車)

バス

バスは、定刻9時11分に霧島神宮駅に到着。

09:11
電車は50分後の10時01分。
(9時39分の特急きりしま号は特急代が必要なのでパス)
1時間の時間があるので、昨日開いていなかった駅の窓口で、入場券とこれから行く乗車券(霧島神宮都城)を購入。

駅改札口

購入の際、端末がフリーズしていたようで、どこかに電話連絡して対処を求めてましたが、5分位返答を待っているとフリーズが解消したようで、無事に発券できました。

乗車券

バスと列車の連絡が悪いので、1時間近く待たなければならず、駅横の足湯も閉鎖(使用中止)しており、近くの郵便局へ風景印を買いに行くことに。

徒歩5分の所にある霧島郵便局。
こちらでポスト型のはがきと官製はがきに風景印を押印して頂きました。

霧島郵便局 風景印

駅近くなので、朝から頻繁に来局する方が居ました。

10:01
2両編成の817系電車(宮崎行)が到着。

817系電車(宮崎行)

車内1両目は3名の乗客のみ。
霧島神宮駅に乗車したのは私のみ。

列車は山間部の各駅に停車しながら10時39分に都城駅に到着。

都城駅

こちらの駅は吉備線との乗換駅でもあり、数名の乗客が乗り降りしていました。

10:39
都城駅に到着後、この後の乗車券(都城ー宮崎)と入場券を窓口で購入。

乗車券

こちらの窓口は到着時開いていましたが、7:30~12:20、13:00~15:20、15:50~19:00以外は閉まっているようです。

大雨が降り続く中、徒歩10分位にある神柱宮へ参拝に行きます。

人は歩いていない駅前を10分程歩くと神社が見えてきます。

神柱宮

10:54-11:02
島津氏の発祥地・都城の総鎮守である神柱宮に大雨の中、参拝。

神柱宮

御朱印は、社務所で拝受。

御朱印 神柱宮

~神柱宮~
かんばしらぐう

宮崎県都城市にある天照皇大神豊受姫大神を祀る神社。

<御由緒>
島津荘の開拓のために大宰府より移住した平季基が、万寿3年(1026年)、天照皇大神の「速に斯地に社を建て祭り、神社の名を神柱と称すべし」という神託を受けて伊勢神宮より梅北村益貫に勧請したのに始まると伝えられる。
Wikipediaより)
===================
主祭神:天照皇大神豊受姫大神
社格等:旧県社・別表神社
創建:伝万寿3年(1026年)9月9日
本殿の様式:流造
別名:神柱神社


大雨は降り続き、周辺を立ち寄ることなく都城駅へ戻りました。

都城駅

列車まで30分近く待ちますが、駅舎内の観光案内所が廃止されたり、売店もない閑散とした駅でした。

観光案内所が移転の案内

11:37
待っている間に特急きりしま(宮崎行・11時22分発/宮崎12:12着)が到着していましたが、特急料金が必要なので、15分後の普通列車に乗車。(宮崎12:38着)

特急きりしま

列車は、2両編成の817系電車(宮崎行)。

817系電車(宮崎行)

◇特急きりしまの場合、
都城11時22分発、宮崎12時12分着<所要時間50分>
(途中駅/清武12:01・12:02、南宮崎12:07・12:08)
◇普通の場合、
都城11時37分発、宮崎12時38分着<所要時間61分>
※途中の南宮崎駅で5分停車
(途中駅/三股11:42・11:43、餅原11:46、山之口11:50、青井岳12:00、田野12:12、日向沓掛12:17、清武12:22・12:23、加納12:26、南宮崎12:29・12:34)

急がないので、特急列車から15分遅い普通列車
宮崎は、特急より26分遅いだけでした。
(あまり所要時間は変わりません)

12:38
定刻に宮崎駅に到着。

宮崎駅

14年ぶり(2009年8月28日)の宮崎駅
駅前も少し綺麗になった感じです。

宮崎駅

駅横には、アミュプラザみやざき(2020年秋OPEN)の商業施設がありますが、年間2日の休館日(1月1日・6月7日)の1日で建物周辺には人が居らず、大雨の雨宿り先として駅舎内のビルで学生さんがいました。

アミュプラザみやざき

駅前には日向夏ポスト(2020年秋誕生)もありました。

日向夏ポスト

また、変わったバスも走っていました。

回遊電動バス「ぐるっぴー」

<回遊電動バス「ぐるっぴー」>
2020年秋から運行が始まった回遊電動バス「ぐるっぴー」。
(グリーンスローモビリティ『ぐるっぴー』)
ポップカラーがかわいい10人乗りのコンパクトなバス。
「乗って楽しい、見て楽しい」がコンセプト。
イエローは日向夏、オレンジはマンゴーをイメージした、2 色のバスが街をめぐります。
宮崎市はホークスとジャイアンツのキャンプ地でもあることから、地元の方にはイエローはホークスカラー、オレンジはジャイアンツカラーと呼ばれることもあるそうです。
宮崎駅前エリアを巡回し、乗車運賃は100円。

◇バス停
・あみーろーど※始終点
宮崎駅
・宮崎中央郵便局前
山形屋
・若草通西
◇運行時間
・あみーろーど発、10:30~17:06まで。
 (12分間隔で運行)
◇運賃
 100円


外は大雨。
足元はずぶ濡れですが、予定通り徒歩15分位歩いた宮崎八幡宮へ参拝。

12:59-13:07
駅前の県道341号線から途中の栄町児童公園手前の細い道(クラーク通り)を少し歩くと左に宮崎八幡宮があります。

宮崎八幡宮

大雨が降り続く中、拝殿で参拝。

参拝

御朱印は、境内にある社務所で拝受。

御朱印 宮崎八幡宮

~宮崎八幡宮

宮崎県宮崎市にある誉田別尊足仲彦尊・息長帯姫尊・伊邪那岐命伊邪那美命・橘大神を祀る神社。
<御由緒>
宮崎八幡宮平安時代に創建された古社であります。永承年間国司海為隆がこの地に来り、宮崎平野の開拓に当り上下の尊崇の篤かった宇佐八幡宮を勧請し、旧来この地に奉祀されていた橘の大神と共に合祀したのが当社の創建である。
鎌倉時代に記された『建久図田帳』、『宇佐大鏡』などの古文書にも、その頃の地名として、渡別府と記され、その頃の様子がいくぶんわかる。
当宮も、渡別府八幡、宇佐八幡、八幡宮等の名称で親しまれていたことは、当宮に残る社宝の棟札からも判明される。
それより時代とともに、内藤の諸侯、領主をはじめ、宮崎郷の中心として信仰され、宮崎の氏神として「八幡さま」の愛称とともに、人々に崇敬されてきた。江戸末期から明治五年にかけては、この地に私塾(開設杉田千蔭)があり、宮崎小学校はそれを母体に開設された。
領主武将の崇敬篤く、明治四年八幡神社としていち早く郷社に列せられた。その後の発展にともない、昭和四十三年十二月より宮崎八幡宮と改称し、つづいて境域の拡張、整備が行われ、昭和五十三年十月にはご社殿、神門、拝殿のご造営の竣工を見、つづいて昭和五十六年、参集殿の竣工をなし、武勇の神、安産の神、学問の神、商工の神として、多くの崇敬を受けている。
なお特殊神事として、夏祭り(七月末日)、どんど焼(一月十四日)神事などがあり、多くの参拝者を集めている。
(宮崎神社庁公式サイトより)
===================
御祭神:
 誉田別尊(ほんだわけのみこと:応神天皇
 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと:仲哀天皇
 息長帯姫尊(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)  
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)  
 伊邪那美命(いざなみのみこと)  
 橘大神(たちばなのおおかみ)
社格等:旧社格(郷社)
創建:永承年中(1050)頃
本殿の様式:流造


宮崎八幡宮の参拝を終えて、遅めの昼食は、宮崎名物のチキン南蛮の有名な「おぐら」へ。

雨が降っていますが、県庁橘並木通り・県道341号線・県道11号の歩道を15分位歩くと到着。

13:20-14:13
チキン南蛮発祥のお店として有名らしい「味のおぐらチェーン おぐら 瀬頭店」。
この日は、本店が休店日だったので、瀬頭店に来店。

味のおぐらチェーン おぐら 瀬頭店

お店は、ファミリーレストランタイプ。

店内

本来なら行列ができるようですが、外は大雨。

店前にある予約の紙

客足も悪そうですが、13時半の店内は満席近い感じでした。
注文は、定番のチキン南蛮(1,200円)。

チキン南蛮

注文から30分位経って料理が来ました。
チキン南蛮ですが、厚さはあまりないですが、鶏の胸肉を揚げ、少し甘酸っぱい秘伝の南蛮酢に付け込まれた南蛮に自家製タルタルソースを大量に乗っていました。

チキン南蛮

カラッと揚げたて感がなく、少し湿っている感じでした。
元祖のチキン南蛮が、こういうものかも知れませんが、大判のチキンをナイフとフォークで食べるスタイルは初めてで、日頃食べているのとは、少し触感が違いました。

外の雨は少し弱くなりましたが、この後も予定通りの行動へ進みます。

この後は、宮崎神宮へ。
おぐらの店の前にバス停がありますが、店前の県道11号・旭通りを東へ10分歩き、乗換不要の路線バスが停車する橘通り1丁目のバス停へ。

14:33
橘通り1丁目のバス停に到着して5分後に2分遅れのバスが到着。
(定刻14:31発、宮崎交通 22系統 古賀総合病院行)

橘通り1丁目のバス停

14:52
車内には20名程のやや多めの乗客が乗るバス。
9分遅れ(定刻14:43着)で、宮崎神宮のバス停に到着。
下車したのは私だけ。

宮崎神宮バス停

バス停の前の広いロータリーからは、宮崎神宮の参道が続きます。

宮崎神宮参道(一の鳥居)

14:53-15:20
木々が植わる奥には、神門があります。

神門

奥には、拝所があり、ここで参拝。

拝所

御朱印は、神符守札授与所で拝受。

御朱印 宮崎神宮

宮崎神宮
宮崎県宮崎市にある神日本磐余彦尊神武天皇)を祀る神社。
<御由緒/創建>
社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳たたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。下って第十代崇神(すじん)天皇、第十二代景行(けいこう)天皇熊襲(くまそ)ご征討の際に社殿のご造営があり、ついで第十五代応神(おうじん)天皇の御代、日向の国造が修造鎮祭(しゅうぞうちんさい)した旨が旧記に伝えられています。
宮崎神宮公式サイトより)
===================
主祭神神日本磐余彦尊神武天皇
社格等:旧官幣大社別表神社
創建:不明
本殿の様式:切妻造銅板葺
別名:神武さま


15:24-15:39
この後は、宮崎神宮西側に隣接する宮崎県護国神社へ。
中間の境に神宮会館(宮崎県神社庁)がありました。

神宮会館(宮崎県神社庁

隣接するところには、宮崎県護国神社があります。

宮崎県護国神社

こちらは、昭和30年に宮崎神宮境内神社として創立されましたが、すぐに宗教法人を設立。
宮崎神宮とは別の独立した運営組織になったようです。

大雨の中、隣接する宮崎神宮に続いて参拝。
社務所御朱印を拝受。

御朱印と飴

こちらでは、初穂料が直書1,000円。書置500円と選択制。
折角なので、自分の御朱印帳に記帳(1,000円)していただきました。
戴いた御朱印と共に、飴が付いてきました。
(飴は、三重県伊勢市松屋製菓(株)が製造、兵庫県西宮市・(有)キンセイが造られた「伊勢の美しの国 御神酒飴(おみきあめ)」3個入りでした。

~宮崎縣護國神社

宮崎県宮崎市にある戊辰の役以降の国家公共に尽くした人の神霊41,820柱、相殿に公務殉職者の御霊54柱を祀る神社。
===================
主祭神:宮崎県出身の国家公共に尽くした人の神霊及び公務殉職者の御霊41,874柱
社格等:旧内務大臣指定護国神社相当
創建:1955年(昭和30年)3月10日


宮崎県護国神社の参拝を終え、次は西に15分程歩いた場所にある宮崎神宮の摂社の皇宮神社へ。

15:54-16:05
こちらは昔、神武天皇宮崎の宮の皇居があったとされており、神武天皇が15歳から大和地方に出発になる45歳まで暮らされた地のようです。

皇宮神社 参道

皇宮神社の前には「皇軍発祥の地」と記された碑があります。

皇軍発祥の地

皇軍発祥の地の左奥の木々が茂る場所に社殿があります。

皇宮神社

神社の森の周囲は住宅が広がっていますが、ここは静寂としています。
雨があがり、拝殿で参拝を終えると再び大雨が降り出しました。

拝殿

こちらの御朱印は、宮崎神宮で拝受。
(直書・初穂料500円)

御朱印 皇宮神社

~皇宮神社~
こうぐうじんじゃ

宮崎県宮崎市下北町横小路にある神日本磐余彦尊神武天皇)を祀る神社。
摂社として宮崎神宮の西北600mの小高い丘に鎮座しています。
<御由緒>
皇宮神社は、宮崎県宮崎市北方町横小路にある神社。
もとの皇宮屋の地で、宮崎神宮の元宮とされ、現在は摂社。
皇宮屋は、初代神武天皇の宮崎の宮の皇居跡とされています。
いわゆる東遷以前の、即位前に住まいしたところ。
神武天皇は諸県の高原郷の狭野原、現在の高原町狭野で、皇子原神社・狭野神社で誕生し、幼少を過ごし、15歳にして皇太子となり、宮崎に居を移した。
大和地方への東遷は45歳のこととされ、その間、宮崎に宮居したという。当社地は、今の宮崎神宮の地に宮居する以前の宮居の地か、あるいは行宮の跡ともされています。
西方には遥か高千穂の峰を望み、目を下に転ずれば大淀川の清流が延々として帯の如く市街を縫い、皇居の跡に相応しい聖地。東遷の出立は、立磐神社から。
創建は不詳ですが、旧社殿は弘化4年(1848年)6月に藩費により再建され、明治10年(1877年)3月21日に宮崎神宮摂社に列した。
御祭神は、神日本磐余彦天皇・手耳研命・吾平津姫命・渟名川耳命。
昭和10年(1935年)11月14日の特別大演習では、昭和天皇のご巡覧があり、昭和17年(1942年)には、紀元2600年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇軍発祥之地碑が建立。
現在の社殿は、伊勢の神宮伊勢神宮)の昭和48年(1973年)における第六十回神宮式年遷宮の後、豊受大神宮(外宮)外幣殿の古殿舎撤下材を、昭和51年(1976年)に改築したもの。
===================
主祭神神日本磐余彦天皇(神武天皇)
相殿神
 手研耳命(たぎしみみのみこと)(御子)
 吾平津姫命(あひらつひめのみこと)(御妃)
 渟名川耳命(ぬなかわみみのみこと)(御子)
創建:不明

再び雨が降り出し、25分歩いた先のJR宮崎神宮駅向かいます。
雨降る中、約25分かけてJR宮崎神宮駅に到着。
駅は駅舎が無く、無人駅。
宮崎神宮の東側を5分程歩くと正面にJR駅が見えてきます。
ここには、鳥居らしい朱色が駅の入口。

JR宮崎神宮駅前風景

駅には駐輪所があり、延岡方面の線路を渡ると島状の上り・下りホームが一つあります。

JR宮崎神宮駅

16:31
JR宮崎神宮駅前の交差点の信号が変わり、駅へ向かうと列車が到着。
出発より3分近く早く入線。
慌てて電車に入りましたが、ここで3分停車。
扉から朱色が塗られたホームを撮影。
電車が来たのでゆっくりホームの写真は撮れませんでしたが、ホームに券売機があります。

JR宮崎神宮駅ホーム

16:35
JR宮崎神宮駅から1駅隣の宮崎駅へ乗車。
無人駅ですが、乗車券は先程宮崎駅で購入しておきました。

乗車券

列車は2両編成の817系電車(南宮崎行)
車内は8割程が学生さん。
3分の乗車で宮崎駅に到着。(16:38着)

817系電車(南宮崎行)

本日2度目の宮崎駅
雨は小雨となり、駅前西口から10分歩き、本日の宿へ。

16:56
本日の宿は、宮崎駅前の通りを10分歩いた場所にある「AIRLINE HOTEL」。

AIRLINE HOTEL

宮崎市内中心街にあり、メガドンキホーテと直結している建物に入っています。
宿泊は東館。
西館でチェックイン手続きを終えて、東館への渡り廊下を通りエレベーターへ。
部屋などは普通のビジネスホテルです。

部屋

今回は朝食込みのプラン。
通常は、6,050円ですが、予約サイトのじゃらんのクーポン・ポイント2,100円分を利用して支払額は3,950円でした。
 

◆エアラインホテル◆ じゃらんで予約)
支払額 3,950円(税込・サービス料込/クレカ払)
<プラン名>
【早割14】【朝食付】14日前までの予約でお得に♪繁華街まで徒歩2分☆MEGAドン・キホーテ直結
部屋タイプ:【禁煙】エコノミーシングル◆東館外側9㎡
宿泊日程 2023年06月06日(火)から1泊
通常:1泊6,050円(税・サービス込)
<利用クーポンなど>2.100円分
・4/15発行_じゃらんのお得な10日間_1000円分クーポン
・利用ポイント1,100

 

19:00-19:20
夕食は、ホテルに直結しているメガドンキホーテが入る宮崎ナナイロ・東館1階にある宮崎うどんの老舗『三角茶屋・豊吉うどん』でカレーセット(550円)を頂きました。

三角茶屋・豊吉うどん・カレーセット

外は小雨になりましたが、靴や足元がびしょ濡れなので、近場で食事を探していると、ここを発見。

三角茶屋・豊吉うどん

宮崎うどんと言うことなので、食べてみると麺は柔らかい。
普段のうどんより麺は茹ですぎ感があります。
伊勢うどん程ではありません)

わかめとたぬき(天かす)入りうどん、コロコロした牛肉が数個入ったカレーは美味しかったです。

お肉、コロコロ

セルフサービス方式ですが、前後のお客さんはカレーのみの方やカレーセットを注文されている方も居たのでカレーも人気のお店のようでした。

この日は、メガドンキの地下で少し買い物をしてホテルで就寝。

メガドンキでの買い物

<次は、南九州の旅③(3日目・最終日)へ>

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