とらすず日記

訪れた日本のおすすめ場所や観光地などの旅情報を発信

伊勢の旅①

伊勢の旅(1日目)
近鉄電車フリーきっぷ 1日目◆
~2023年6月1日(木)~

今回は、6月限定発売の近鉄電車全線2日間乗り放題きっぷを使用して伊勢の神社巡りへ行きます。

近鉄全線2日間フリーきっぷ◆
<販売額 3,000円>

近鉄全線2日間フリーきっぷ

発売期間 2023年5月8日(月)から2023年6月28日(水)まで <前売限定>
有効期間 2023年6月1日(木)から2023年6月30日(金)までのうち、
発売時に指定したご乗車開始日から連続2日間有効
近鉄全線連続2日間フリー乗車券
生駒ケーブル西信貴ケーブルを含む。葛城山ロープウェイを除く。
葛城山ロープウェイ割引券(片道または往復の1回限り、50%割引)

 
きっぷは、前売り限定のため事前に鶴橋駅特急券券売機(改札外)で購入。

05:58
自宅を出発して、近鉄鶴橋駅へ。

06:31
近鉄鶴橋駅から急行五十鈴川行きに乗車。

急行五十鈴川

電車は4両編成。
車内は全ての人が座れる感じのロングシート車両。
途中の名張駅・伊勢中川駅では学生さんが多く乗車してきましたが、数駅先の伊賀神戸宇治山田駅で下車して混雑はこの区間のみで、終点の五十鈴川で下車しました。
五十鈴川駅/8時57着)

09:01
五十鈴川駅前から三重交通のバスに乗車。
内宮前に行く路線バスが6分遅れていたので乗車。

三重交通 07系統/内宮前行

本来はCANバス(09:01発)に乗車予定でした。
CANバスも少し遅れていました。

09:06
神宮会館前バス停で下車。(IC運賃200円)

こちらで下車した理由は、神宮会館内で販売している御朱印帳(1,200円)を購入するためです。
本来ならば、外宮・内宮順に参拝しますが、今回は逆になります。

伊勢神宮は、125社の神社から構成され、正宮・別宮・摂社・末社・所管社があります。
別宮は全部で14社。
 1. 内宮(皇大神官)の別宮
  1.1 荒祭宮
  1.2 月讀宮
  1.3 瀧原宮
  1.4 伊雑宮
  1.5 風日祈宮
  1.6 倭姫宮
 2.外宮(豊受大新宮)の別宮
  2.1 多賀宮
  2.2 土宮
  2.3 月夜見宮
  2.4 風宮
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<正宮(しょうぐう)>
伊勢神宮の中心である「皇大神宮(こうたいじんぐう)」と「皇受大神宮(とようけだいじんぐう)」の2つです。
皇大神宮は「内宮(ないくう)」、豊受大神宮は「外宮(げくう)」と一般的に呼ばれています。

皇室の祖先の神と言われており、私たちの大御祖神として信仰されている「天照大御神」を祀っているのが、皇大神宮
衣食住をはじめとした産業の守り神として豊受大御神を祀っているのが、豊受大神宮です。
正宮は伊勢神宮の第一格のお宮であり、全国の中でも格式の高い神社として位置付けられています。

<別宮(べつぐう)>
別宮は、正宮に準じる格式の高いお宮。
「正宮のわけみや」という意味で、正宮と関係のある神様が祀られています。
神宮式年遷宮も正宮と同じく20年に一度行われ、手入れが行き届いています。
正宮に準じて祭祀も行われます。
皇大神宮に10社、豊受大神宮に4社の宮があります。

<摂社(せっしゃ)>
摂社とは「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されている神社のことです。
平安時代の神様の行事や作法、神社に関する法律が書き留めてある書物であり、927年にまとめられました。
主に、本殿や本宮にお祀りしている神様と所以ある神様が対象となっています。
伊勢神宮の摂社は、内宮に27社、外宮に16社あります。
伊勢神宮の場合は内宮の正宮である御正殿に天照大御神が据えられています。
そのため、伊勢神宮の摂社には天照大御神に関係のある神様が鎮座されています。

末社(まっしゃ)>
末社とは延喜式神名帳には記載されていないが、「延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)」に記載されている神社のことです。
延暦儀式帳も、伊勢神宮平安時代から伝わっている書物であり804年に提出されました。
伊勢神宮の場合は、正宮の下に属している小規模な神社が当てはまります。
基本的には、正宮にいる神様の「妻=后(きさき)」や「御子=子ども」が祀られています。
内宮には16の末社が、外宮には8の末社が鎮座しています。

<所管社(しゃかんしゃ)>
所管社とは「延喜式神名帳」にも「延暦儀式帳」にも記載されていない神社のこと。
・正宮や別宮、末社と関連の深い神社が当てはまります。
・水やお酒、お米、塩、麻、絹などのお供え物
・宮域鎮護
・祭祀
の分野で深く関係を持つ神々が祀られている神社です。
内宮には30社、外宮には4社の所管社が伊勢神宮には存在しています。


神宮会館御朱印帳を購入。

御朱印

外宮・内宮の神楽殿授与所では、御朱印のみで少し離れた内宮境内・参集殿(休憩所)の売店/神宮会館で販売されています。
特に大判は神宮会館のみとネットで見たので立ち寄りましたが、参集殿でも販売していました。

神宮会館御朱印帳を購入後、内宮へ参拝しますが、雨が降り始め、すぐ近くの赤福本店で小休憩。

09:15
この日は、1日。
赤福は毎月1日は朔日餅が販売しています。
6月は、麦手餅(むぎてもち)。

麦手餅

赤福のホームページによると・・・

六月は「麦秋」とも呼ばれています。麦刈りの季節だからです。農家にとっては風水害のシーズン前に収穫できる麦はありがたい穀物でした。
田植え、麦刈りと繁忙期を終えた人々が、豊作感謝のお祝いにつくったのが「麦手餅」です。
六月の朔日餅は、季節菓子としてながい歴史をもつ「麦手餅」をお届けします。
もち麦粉が入った餅生地で黒糖味の餡を包み、上から香ばしい麦粉をまぶした素朴なお餅です。麦の香ばしさをお楽しみください。

出典:赤福ホームページ

 

雨が降り出し、旧伊勢街道では、まだ開店していないお店が多く、人影も少なめ。

旧伊勢街道

09:33
伊勢神宮内宮に参拝。

宇治橋

参道には、国華会(花菖蒲)の奉納展示が行われていました。

国華会(花菖蒲)の奉納展示

五十鈴川の御手洗場で手を清め、参拝へ。

五十鈴川の御手洗場

09:40~09:45
最初は、瀧祭神(皇大神宮所管社)へ参拝。
【たきまつりのかみ】

瀧祭神(皇大神宮所管社)

五十鈴川の御手洗場すぐにあります。
団体客などは、内宮・本宮のある左側の道を進みますが、瀧祭神は正面を歩くとあります。

瀧祭神(皇大神宮所管社)

▽ 瀧祭神 ▽
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。
内宮の宮域内、御手洗場(みたらし)のすぐ近くに鎮座。
社殿を持たない神社であり、所管社でありながら別宮と同等の祭祀が捧げられる特別な神社。
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主祭神:瀧祭大神
社格等:皇大神宮所管社
創建:延暦23年(804年)以前
本殿の様式:なし
別名:おとりつぎさん


09:47~09:52

風日祈宮皇大神宮別宮)へ参拝。
【かざひのみのみや】     

風日祈宮皇大神宮別宮)

こちらは、瀧祭神から森の中に続く道を3分歩くと風日祈宮橋が右側に見えてきます。

風日祈宮

こちらを渡るとすぐに風日祈宮が見えてきます。

風日祈宮

▽ 風日祈宮 ▽
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の境内にある別宮。
内宮神楽殿前から南方へ向かう参道にある風日祈宮橋(かざひのみのみやばし/長さ45.6m、幅4.6m)で五十鈴川支流の島路川を渡った先に風日祈宮があります。
==========
主祭神級長津彦命級長戸辺命
社格等:皇大神宮別宮
創建:804年以前
本殿の様式:神明造
例祭:風日祈祭

風日祈宮

風日祈宮

この後、神楽殿の前を通った際に警備の方が参道を規制。
後ろを見ると、祈祷される一行の行列が前を通過。

祈祷者の行列

この後、一行は神楽殿横の五丈殿で祈祷を受けていました。

五丈殿で祈祷

少し見学し、伊勢神宮内宮へ。
 
09:56~09:59
皇大神宮伊勢神宮 内宮)へ参拝。
【こうたいじんぐう】

皇大神宮伊勢神宮 内宮)

こちらは、階段から撮影禁止になります。
階段右奥には、古殿地があり、以前の社殿があった場所ですが、先へ行けないようになっていました。

古殿地方面(通行禁止)

▽ 皇大神宮 ▽
伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つ。
一般には内宮(ないくう)と呼ばれているところ。
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の境内にある別宮。
内宮神楽殿前から南方へ向かう参道にある風日祈宮橋(かざひのみのみやばし/長さ45.6m、幅4.6m)で五十鈴川支流の島路川を渡った先に風日祈宮があります。
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<皇⼤神宮の由緒と沿⾰>

わが国最初の正史『日本書紀』によると、天照大御神はお生まれになった時、「光華明彩、六合の内に照り徹らせり」と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。
高天原にいらっしゃる大御神は皇孫瓊瓊杵尊をこの国にお降しになる際に、

豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たる可き地なり。宜しく爾皇孫、就きて治せ。行矣。
宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし。

と、この国は天地と共に永遠であるとの祝福のお言葉をお与えになりました。また大御神は宝鏡を授けられ、「この鏡は私を見るがごとくにまつれ」と命じられました。さらに高天原でお育てになった稲穂を授けられ、米をつくる暮らしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられました。この御祝福の言葉は「天壌無窮の神勅」と呼ばれます。

さて、瓊瓊杵尊に授けられた宝鏡は八咫鏡と呼ばれ、天皇天照大御神をお祀りするご神体となっています。八咫鏡は代々宮中で天皇ご自身がお祀りされていましたが、崇神天皇の御代になるとお側でお祀りすることに畏れを抱かれ、皇居を出られ、大和の笠縫邑に神籬を立ててお祀りすることになりました。

そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命が大御神をお祀りしていましたが、垂仁天皇の御代に、倭姫命が新たに大御神をお祀り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られた後、伊勢の国の度会の地、宇治の五十鈴の川上に到られ、大御神のお教えのままに「祠」をたててお祀り申し上げることになりました。今からおよそ2000年前のことです。祠は社とも書き、家や屋の代という意味で、お祭りに際してその都度新たにたてられる建物のことです。神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になったのは、天武天皇から持統天皇の御代にかけてのことと考えられています。20年に一度の大祭、神宮式年遷宮もその時代に始まりました。

<公式サイトより>
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主祭神天照坐皇大御神
神体:八咫鏡
社格等:式内社(大)・正宮
創建:垂仁天皇26年
本殿の様式:唯一神明造
別名:内宮

ここは、伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つで、一般には内宮と呼ばれているところです。

御朱印は、神楽殿横の御朱印処で頂けます。
(初穂料300円)

御朱印 皇⼤神宮(内宮)

 
10:03~10:06

荒祭宮皇大神宮別宮)へ参拝。
【あらまつりのみや】

荒祭宮皇大神宮別宮)

▽ 荒祭宮 ▽
こちらは、内宮正宮北方にある別宮。
別宮の中で第一位とされているところです。
別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
荒祭宮を「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説です。
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主祭神天照大神荒魂
社格等:式内社(大)・皇大神宮別宮
創建:804年以前
本殿の様式:神明造

 
荒祭宮は、内宮正宮参拝後、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)の横を通ります。

御稲御倉

その後、正面に古い神宝を納める外幣殿(げへいでん)が見えてきます。

外幣殿

この後、進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮があります。
この時に降りる石段(約四十段下がったところ)には4つに割れ「天」の字のように見える石があります。

4つに割れ「天」の字のように見える石

この石は踏まぬ石と呼ばれ避けて通らなければならないとされ、江戸時代には既に言及されていたようです。
「踏まぬ石は天から降って来た」という伝説が残っています。

この先に本殿があります。

荒祭宮

参拝後、休憩所のある参集殿に向かう途中に外御厩があり、皇大神宮御料御馬・草新(くさしん)号がいました。
人形かと思いましたが、近づくと動いていました。

神宮御料御馬・草新号

神宮御料御馬・草新(くさしん)号
種類:アングロアラブ
生年:平成十三年
産地:宮内庁御料牧場
毛色:鹿毛
牽進:平成三十年六月

 
10:18~10:23
大山祇神社・子安神社(皇大神宮所管社)へ参拝。
【おおやまつみじんじゃ・こやすじんじゃ】

大山祇神社・子安神社

▽ 大山祇神社・子安神社(皇大神宮所管社) ▽
内宮の宮域内、宇治橋東詰から東に進むと衛士見張所があり、見張所付近に子安神社と並び鎮座しています。
祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)。
伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)の子供であり、山の守護神とされる。
手前に子安神社、奥に大山祇神社がある。
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主祭神大山祇神
社格等:皇大神宮所管社
創建:不詳
本殿の様式:神明造
別名:山神社
主な神事:神嘗祭(10月22日)

こちらは、多くの方が宇治橋を渡り参拝を終えますが、左の橋を渡らず、右の林がある方向へ進みます。
すぐに裏見張所があり、その先に二つの神社が鎮座しています。

子安神社(手前)・大山祇神社(奥)

10:25
雨が降ったり止んだりの天候の中、内宮参拝は終了。

宇治橋

この後は、宇治橋を渡った左側奥の小山に鎮座する宇治神社に参拝します。
少し入口が分かりづらいですが、左側に続く車道の右に長い階段が見えてきます。

宇治神社(足神さん)


10:30~10:35
宇治神社(足神さん)へ参拝。
【うじじんじゃ】

宇治神社

さらに、境内社の蓬莱稲荷神社(境内社)に参拝。

蓬莱稲荷神社

境内には足神さんがあります。

足神さん

▽ 宇治神社 ▽
内宮の鳥居前町である「宇治」の街を守る氏神様・近隣4町の神社の祭神25柱を合祀する産土様。
古くから足神様と称され、健脚を願う人々の信仰を集めてきた神社でもあります。
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<由緒>
(神社の由緒書によると、創建由来は二説)
1)皇大神宮末社:那自売神社の跡地に土地の神様を祀ったのが始まりという説。
2)1660年、宇治洪水の時に神路山に祀られていた祠が流れ着いたという説。
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主祭神大山祇神
全ての山を司る神。一方、海の神とされることもある。
この神の娘が木花咲耶姫命であり、瓊瓊杵尊の妻となり神武天皇へとつながる。

<合祀されている神社>
◆山神社(大山祗神
◆求神社(御裳須曽姫神
◆足神社(宇摩志阿斯訶備比古遅神
◆水神社(速秋津日子神・速秋津比女神)
◆鏡石神社(新川比賣神)
◆石津賀神社(神名不詳)
◆山神社(大山祗神
◆稲荷社(宇迦之御魂神)
◆佐野姫神社(同)
◆水神社(水波賣神)
◆蘭神社(素盞嗚尊)
◆八幡社(應神天皇
◆稲荷社(宇迦之御魂神)
秋葉社(火産靈神)
◆瀧倉神社(玉移良比賣神)
◆崇忠神社(菅原道眞・和氣清麿・楠正成・天兒屋根命・大織冠鎌足
◆荒木田一門神社(天見通命・彌武彦神)
境内社弓場菅原社(菅原道眞)
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<合祀された神々のご神徳>
大山祇神(オオヤマズミのカミ)
 山の守護神
◆宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)
 生命の神
◆宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
 五穀豊穣の神
◆玉移良比賣神(タマイラヒメノカミ)
 宇治を守護する地主神
◆御裳須曽姫神(ミモスソヒメノカミ)
 五十鈴川の守護神
◆豊玉比賣神(トヨタマヒメノカミ)
 豊かな玉を身に付ける人の守護神
素戔嗚尊スサノオノミコト
 疫病を鎮め癒して下さる神
◆天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)
 天意をお伝えになる神
速秋津日子神ハヤアキツヒコノカミ)
 河口の神
◆速秋津比女神(ハヤアキツヒメノカミ)
 人の罪を呑込み消して下さる神
◆新川比賣神(ニイカワヒメノカミ)
 水の神
火産霊神ホムスビノカミ)
 火の神
◆水波賣神(ミズハノメノカミ)
 五十鈴川を水害から守る水の神
応神天皇(オウジンテンノウ)
 厄除開運・殖産興業の守護神
◆天見通命(アメノミトオシノミコト)
 荒木田氏の祖
◆大職冠鎌足神霊(タイショクカンカマタリシンレイ)
 藤原氏の祖
◆和気清麿神霊(ワケノキヨマロシンレイ)
 忠誠の神
菅原道真神霊(スガワラノミチザネシンレイ)
 和歌・学問の神
◆楠正成神霊(クスノキマサシゲシンレイ)
 南北朝時代の武将、精忠の神
◆彌武彦神(ヤタケヒコノカミ)
 連歌の秘奥を究め俳諧の道を開く。俳祖
◆羽倉東麿神霊(ハクラアズママロシンレイ)
 江戸時代の歌人
◆岡部真淵神霊(オカベマブチシンレイ)
 江戸時代の国学者歌人
本居宣長神霊(モトオリノリナガシンレイ)
 松坂生まれの国学者
平田篤胤神霊(ヒラタアツタネシンレイ)
 江戸後期の国学者

境内には絵馬ならぬ、草鞋が掲げていました。

絵馬ならぬ、草鞋

社務所の脇には、伊勢出身の2004年アテネオリンピック・マラソン金メダリストの野口みずきさんの奉納されたわらじが展示されていました。

野口みずきさんの奉納わらじ

伊勢神宮の賑わいとは異なり、こちらの参拝者は私のみ。
社務所御朱印を拝受。

御朱印 宇治神社

雨が降り続き、悪天候の中ですが、次へ進みます。

10:41~10:46
饗土橋姫神社(皇大神宮所管社)へ参拝。
【あえどはしひめじんじゃ】

饗土橋姫神

▽ 饗土橋姫神社 ▽
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。
宇治橋の守護神であり、宇治橋と対面する位置に鎮座。
宇治橋の架け替えに先立って社殿が建て替えられるため、神宮式年遷宮において、伊勢神宮の所管する125社の中では最も早く建て替えられます。
社名の「饗土」とは、疫病神や悪霊などの悪しきものが入るのを防ぐために饗応の祭りを行う土地を意味しています。
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主祭神宇治橋鎮守神
社格等:皇大神宮所管社
創建:文明9年(1477年)以前
本殿の様式:神明造
主な神事:神嘗祭宇治橋渡始式

 

饗土橋姫神社から20m先には内宮摂末社津長神社新川神社石井神社があり、50m先には内宮摂末社大水神社川相神社・熊淵神社があり、7社が集まっています。

大水神社

周辺は山の中にあり、足場が悪くなっています。

山中にある神社

また神宮文庫の前身である旧林崎文庫も隣接し、参道の奥には尾崎行雄を祭神とする合格神社があります。

非公開の旧林崎文庫

宇治橋向かいの駐車場奥の山面にあり、ここにあるとは知りませんでした。

右奥が宇治橋

ここからバスで2つ先の猿田彦神社へ行きますが、今回は歩いて向かいます。
 
10:57~11:14
猿田彦神社へ参拝。
【さるたひこじんじゃ】

猿田彦神社

 
伊勢神宮・内宮の宇治橋から徒歩15分。
小雨降る中、猿田彦神社に到着すると、多くの方が参拝していました。

猿田彦神社 拝殿

本殿の手前にある八角形の石柱「方位石」。

方位石

"十干十二支(じゅっかんじゅうにし)"と言い、干支が刻まれています。

本殿にお参りし、その後願い事に応じて触ります。
干支の順番が異ったりしていますが、仕事運は「亥・卯・未」、金運は「巳・酉・丑」、家庭運は「申・子・辰」、人気運は「寅・午・戌」の順となっているようです。
 

▽ 猿田彦神社 ▽
全国約2千社の猿田彦大神を祀る神社の総本社「地祗猿田彦大本宮」は鈴鹿市椿大神社と言われますが、猿田彦神社が神宮内宮の近くあり、各地の猿田彦大神を祀る神社で椿大神社と繋がる神社が少数なので、猿田彦神社猿田彦神を祀る神社の総本社と考える方もいるところです。
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<歴史・由緒>(公式HPより)
猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。
天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。
そして、神宮第一の古典『皇太神宮儀式帳』等にあるように、宇治土公(うじのつちぎみ)宮司家の祖先で猿田彦大神の御裔である大田命が、倭姫命の御巡幸に際して、猿田彦大神が聖地として開拓された五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地をお勧めし、そこに皇大神宮(内宮)が造営されました。そのため宇治土公家はその後、神宮において代々「玉串大内人(たまぐしおおうちんど)」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしてきました。
同時に邸内では御先祖である猿田彦大神をお祀りし、門前には全国から訪れる参拝希望者やお供えが絶えることはありませんでした。
当社は猿田彦大神直系の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める神社です。
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主祭神猿田彦大神・大田命
社格等:無格社別表神社
例祭:4月4日・5日(春季例祭)
   11月4日・5日(秋季例祭)

 
社務所御朱印を拝受。

御朱印 猿田彦神社

境内には、佐瑠女神社があります。
稽古事、恋愛を成就させたい女性の参拝客が頻繁に来られていました。

佐瑠女神社

佐瑠女神社の御朱印猿田彦神社社務所で拝受。

御朱印 佐瑠女神社

 

▽ 佐瑠女神社 ▽
猿田彦神社境内にある神社。
芸能上達や縁結び等の信仰があつい天宇受売命(あめのうずめのみこと)が御祭神。
天宇受売命は、天照大御神が天岩窟に籠もられた際に神楽をされ、八百万の神々が喜び笑ったことで再び現れたという神話がある方です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<紹介>(猿田彦神社公式HPより)
境内社の佐瑠女神社には、俳優(わざおぎ)・神楽・技芸・鎮魂の祖神と仰がれる天宇受売命が奉祀されています。
天照大御神が天岩窟に籠もられ世の中が乱れたとき、天宇受売命が神楽をされ、そこに集まった八百万の神々が喜び笑い、天照大御神が再び現れ平和な世になりました。
また天孫降臨に際し、天八衢(あめのやちまた)にてお待ちしていた猿田彦大神と最初に対面し、高千穂の峰に至る道を啓かれました。そしてその後は猿田彦大神の本拠の地である五十鈴の川上の地に赴かれる大神と共に来られ、その功により「猨女君」(さるめのきみ)と称号を受けられました。
佐瑠女神社は芸能・スポーツ関係をはじめ、技芸の上達を祈る方々の参拝が絶えません。また、天津神国津神の仲を取り持たれた神様であることから、色々な良き御縁を結ぶ神様として信仰も篤く、多くの参拝者で賑わっています。
==========
主祭神:天宇受売命
(あめのうずめのみこと)

 

猿田彦神社の参拝を終え、本殿右奥横へ行くと車のお祓い場入口があり、ここから徒歩で次の月讀宮へ向かいます。

猿田彦神社 車のお祓い場入口

11:19
5分程歩いていると車の出入りが頻繁にする駐車場がありました。
こちらでは、赤福が毎月販売している朔日餅の予約者限定の受取所のようです。
先程本店で食べたので、今回は購入いたしません。

赤福朔日餅引渡所

11:24
さらに歩くと月讀宮の森を後方にある上田神社がありました。
こちらは、参拝せずに右側の参道入口へ迂回しながら月讀宮へ向かいます。

上田神社

11:25
月讀宮の入口に到着。

月讀宮入口(国道23号線側)

11:26
森の中に入るとすぐ右に葭原神社(あしはらじんじゃ)がありました。

葭原神社

▽ 葭原神社 ▽
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の末社
内宮の末社16社のうち、第3位。
式内社で『延喜式神名帳』記載の「荻原神社」に比定されています。
内宮の別宮である月讀宮の境内にあります。
==========
主祭神佐佐津比古命宇加乃御玉御祖命、伊加利比賣命
社格等:式内社(小)、皇大神宮末社
創建:延暦23年(804年)以前
本殿の様式:神明造
別名:伊賀井の森  

 
葭原神社を参拝し、月讀宮へ向かいます。
 
11:27~11:40
月讀宮皇大神宮別宮)<参拝>
つきよみのみや】

月讀宮

皇大神宮(内宮)から約1.8km離れ、猿田彦神社から徒歩15分。
豊受大神宮(外宮)からは、約3.8km離れ、近鉄五十鈴川駅から南へ徒歩10分程のところにあります。

今回は、内宮から徒歩での参拝。
木々が茂む参道の奥には、別宮4社の社殿が鎮座しています。

木々が茂む参道の奥の別宮4社

右から月読荒御魂宮②、月読宮①、伊佐奈岐宮③、伊佐奈弥宮④の四別宮が並び、参拝順は①~④が一般的です。

右から月読荒御魂宮②、月読宮①

左から伊佐奈弥宮④、伊佐奈岐宮

現地でも参拝順序が掲示されていました。

参拝順序が掲示

ご祭神の月夜見尊は、天照大御神の弟神。
内宮の別宮・月読宮の同一祭神です。
御朱印は、境内の社務所で拝受。

御朱印 月讀宮

▽ 月讀宮 ▽
<⽉読宮の由緒と沿革>
月読尊は『古事記』、『日本書紀』よると、伊弉諾尊伊弉冉尊の二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月読尊をお生みになられ夜之食国をお治めになるようにご委任になられたと記されています。
内宮の荒祭宮天照大御神の荒御魂がまつられ、外宮の多賀宮豊受大御神の荒御魂が祀られているように、月読宮に並んで、月読尊荒御魂が祀られています。荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂」と申し上げるのに対して、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂」とたたえます。
伊佐奈岐宮伊佐奈弥宮にお祀りする伊弉諾尊伊弉冉尊は、日本の国土及び山川草木をお生みになられた後、天照大御神をお生みになり、つづいて月読尊をお生みになられた二柱の御親神です。
月読宮以下四別宮は、『皇太神宮儀式帳』に「月読宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣内に祀られていました。すなわち四宮あわせて月読宮と呼ばれており、伊佐奈岐宮伊佐奈弥宮宮号が宣下されたのは、第56代清和天皇貞観9年(867)8月のことです。 第60代醍醐天皇の延長5年(927)に、古代の法律体系である『延喜太神宮式』が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月読宮、月読荒御魂宮が一院を形成していました。現在のように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治6年からです。
(公式サイトより)
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主祭神月讀尊
社格等:式内社(大)・皇大神宮別宮
創建:延暦23年(804年)以前
本殿の様式:神明造

 

11:40
月讀宮の参拝を終え、入ってきた場所と違う県道12号線側の出口へ。

月讀宮参拝口(県道12号線側)

こちらから近鉄五十鈴川駅へは徒歩10分位です。

今回は、さらに徒歩10分先にある倭姫宮皇大神宮別宮)へ歩きます。

近鉄五十鈴川駅前(赤い屋根が駅舎)

駅前の交差点を過ぎると目の前に伊勢自動車道の伊勢ICが見え、大型車を含め車両が多く走る場所の近くにイオンがあり、ここで昼食です。
 
11:55~12:25
イオン伊勢店へ行くと東海地方では有名な「スガキヤ」のお店がフードコート内にあり、こちらで小休憩&昼食。

スガキヤ

注文は、定番のラーメン並(390円)と店頭で目に付いた焼き鶏まぶし(360円)。

ラーメン並・焼き鶏まぶし

焼き鶏まぶしは最後に付属の出汁と薬味を入れて食べます。

焼き鶏まぶし

昼食を終えて、ここから10分先の皇大神宮別宮・倭姫宮へ向かいます。
道路には、巨大な鳥居(御幸道路大鳥居)が見えてきます。

道路にある巨大な鳥居

この先は、神宮美術館や神宮農業館、伊勢神宮の歴史資料などが展示される神宮徴古館など倭姫宮周辺の森の中に点在しているところです。
 
しばらくすると入口が見えてきます。

倭姫宮 入口

参道が続き、石段を少し上がると倭姫宮が見えてきます。

参道

倭姫宮

12:35~12:49
倭姫宮皇大神宮別宮)<参拝>
【やまとひめのみや】

倭姫宮皇大神宮別宮)

御朱印は、境内宿衛屋で拝受。

御朱印 倭姫宮

▽ 倭姫宮 ▽
近鉄五十鈴川駅を北へ徒歩15分の森の中に鎮座する内宮の別宮・倭姫宮
内宮・外宮、別宮など14宮ある中で、唯一創建が明確なところ。
(創建は、1923年(大正12年)11月5日)
鎮座する倉田山の西側には、神宮徴古館農業館、神宮美術館、神宮文庫等があり、閑静なところでした。
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主祭神倭姫命
社格等:皇大神宮別宮
創建:1923年(大正12年
本殿の様式:神明造

倭姫宮を参拝後、閑静な森林の中にある神宮美術館の前を通り、近鉄伊勢市方面へ。

神宮美術館

ここからはバスで伊勢市駅前・外宮方面に行きたいところですが、バス停とバスの時間が不明なので、さらに10分歩き伊勢市駅から1つ隣の近鉄宇治山田駅へ向かいます。
歩くとさらに15分以上あるようだったので、近鉄電車のフリーきっぷを使用して1駅乗車することに。

13:08
近鉄宇治山田駅の裏側から駅方面へ。
裏から見るとコンクリートの建物が雑に並んでいる光景。

近鉄宇治山田駅の裏側

表に回ると駅舎内は古い感じの建物でした。

近鉄宇治山田駅 駅舎内(1階)

13:13

近鉄宇治山田

宇治山田駅のホームに上がると伊勢志摩ライナー(賢島発近鉄名古屋行)が発車していきました。

伊勢志摩ライナー

乗車するのは、13時16分発近鉄名古屋行き急行。
乗車時間は1分程で伊勢市駅に到着。

近鉄伊勢市

近鉄伊勢市駅に到着。(13:17)

急行・名古屋行

 

伊勢神宮外宮へ行くには、JR側の改札へ向かいます。

JR側への跨線橋

JR伊勢市駅 駅舎

伊勢市駅から直線の道を約8分で外宮入口に到着します。

伊勢市駅 駅前

13:35
外宮の鳥居の先を歩くと左側に式年遷宮記念せんぐう館(平成24年開館)が見えてきます。(入館料300円)
式年遷宮に関する展示品などがありますが、時間がないので建物の近くの勾玉池沿いの菖蒲園を見学。

菖蒲園

小雨が降る中ですが、菖蒲を鑑賞。

菖蒲園と勾玉池奉納舞台

13:40~13:50
豊受大神宮伊勢神宮 外宮)<参拝>
【とようけだいじんぐう】

豊受大神宮伊勢神宮 外宮)

境内を進み、拝所のある正宮(正殿・西宝殿・東宝殿)へ。
拝所から奥は見れませんが、背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並んでいます。
隣接する古殿地(次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち))から並びを見ることができます。

隣接する古殿地

▽ 豊受大神宮 ▽
伊勢市中心部の高倉山の麓に鎮座する豊受大神宮
別名は外宮と呼ばれています。
衣食住、広く産業の守護神である豊受大御神をお祀りし、今から約1500年前、天照大御神のお食事を司る御饌都神として丹波国から現在の地にお迎えされました、
(内宮の御鎮座から約500年後のこと)
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豊受大神宮の由緒と沿⾰>
豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所のみ坐せば甚苦し」ということと、「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。
天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます。
豊受大神宮皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称されました。広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様であり、皇室の御崇敬もまた同様に捧げられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮こそが最高至貴のお宮で神宮の中心です。
神宮の祭典は、「外宮先祭」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。(公式サイトより)
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主祭神豊受大御神
社格等:式内社(大)、正宮
創建:雄略天皇22年
本殿の様式:唯一神明造
別名:外宮

 

御朱印は、神楽殿で頂けます。

御朱印 外宮

外宮参拝後、境内にある別宮(土宮・風宮・多賀宮)へ。
本来なら多賀宮・土宮・風宮の順に参拝するようですが、今回は道順(逆)の参拝になりました。

13:52~13:53
風宮(豊受大神宮別宮)<参拝>
【かぜのみや】

風宮

風宮

風宮

▽ 風宮 ▽
外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓に位置する外宮の別宮。
祭神は内宮(皇大神宮)別宮の風日祈宮と同じ級長津彦命級長戸辺命
外宮正宮を参拝後、多賀宮への参道に向かう場所にあります。
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<風宮の由緒と沿革>
風宮は、古来風社と称しておりました。
しかし、『止由気宮儀式帳』、『延喜神名式』には記載がなく、長徳3年の『長徳検録』に初めて「風社在高宮道棒本」と記され、多賀宮へ続く参道沿い、杉の木の本にある小さなお社であったと考えられます。
それが内宮別宮の風日祈宮と同様、蒙古襲来の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験に応えるべく、正応6年(1293)に一躍別宮に昇格しました。その詳細な経緯は『増鏡』にみることができます。
元来、風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調に成育するように祈りが捧げられるお社でありましたが、元冦以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰が加わります。
幕末になると、欧米列強諸国による東洋進出がはじまり、日本もその侵略の危機に再び遭遇することになり、その際には中世以来の信仰は再度喚起され、朝廷は文久3年(1863)5月に15日間の攘夷御祈願を風宮と風日祈宮に捧げられました。
(公式サイトより)
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主祭神級長津彦命級長戸辺命
社格等:豊受大神宮別宮
創建:997年以前
本殿の様式:神明造
例祭:風日祈祭

 
13:54~13:55
土宮(豊受大神宮別宮)<参拝>
【つちのみや】

土宮

土宮

土宮

▽ 土宮 ▽
正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮があります。
亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられ、土宮の左手には外宮所管社の下御井神社があります。
外宮境内にある別宮は、多賀宮・土宮・風宮の順に参拝するのが古来の習わしとされているようです。
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<土宮の由緒と沿革>
土宮は、古来外宮ご鎮座の山田原の守護神として崇敬されてきました。延暦23年(804)の『止由気宮儀式帳』には「大宮地神」と記され、長徳3年(997)の『長徳検録』には外宮所管の田社32前の1座として「土御祖神社」の名を見ることができます。 しかし、田社とは今でいう末社にあたり、古代においては別宮ではありませんでした。
大治3年(1128)に宮川堤防の守護神として別宮に昇格しましたが、田社から別宮の地位に昇格したのは特別な理由があったものと推察されます。
現在、市街地の西を流れる宮川は、かつて幾筋かに分岐し、今の市街地も流域にあたりました。当時は治水技術も発達しておらず、氾濫による被害が相次ぎ、地域住民にとって宮川治水の感心は高く、土地の守護を司る大土乃御祖神に対する祈りは切なるものがあったことでしょう。また、外宮の祭祀を行う上でも洪水は支障をきたしたと考えられます。そのような状況の下で宮川堤防の守護神ということに重きが置かれ、大治3年に宮号宣下され、別宮に昇格したのです。
さて、他の別宮が全て南面するのに対して土宮だけが東面しています。保延元年(1135)のご造営の際もこの点が問題となり、朝廷においても十分検討されましたが、結局は従来通り東面に建てられることになりました。これについては南面に建てれば正宮を後にするとか、地勢の便宜上の理由に拠るとか、古来種々論じられてきましたが、詳らかにしません。但し、理由の如何にかかわらず、東向きにご鎮座するということは外宮ご鎮座以前にさかのぼり、古くからの姿を残したものといえます。
(公式サイトより)
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主祭神大土乃御祖神
社格等:豊受大神宮別宮
創建:997年以前
本殿の様式:神明造

 
風宮・土宮の参拝を終え、最後は98段の石段を登ったところにある多賀宮へ。
多賀宮は外宮の別宮の中でも格式がある第一別宮です。

多賀宮

13:57~13:59
多賀宮豊受大神宮別宮)<参拝>
【たがのみや】  

多賀宮

▽ 多賀宮 ▽
外宮境内にある別宮は、多賀宮・土宮・風宮の順に参拝するのが古来の習わしとされているようですが、外宮本宮から歩くと風宮、土宮の順に参拝順路の道が続くため、最奥の階段を上がった多賀宮が最後の参拝順になりました。
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多賀宮の由緒と沿革>
多賀宮は古くは「高宮」とも称され、延暦23年(804)の『止由気宮儀式帳』に「高宮一院等由気太神之荒御玉神也」と記されています。小高い丘の上にご鎮座されることからそのように呼ばれたと考えられます。
多賀宮は今から約1500年前、第21代雄略天皇22年に天照大御神の御神勅によって豊受大御神丹波の国から御饌都神として迎えられ、豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています。外宮には多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮の四別宮がありますが、多賀宮だけは『止由気宮儀式帳』および『延喜神名式』に記載され、他の別宮が後年、宮号宣下されたことに比べると、別宮として特別な待遇を受けています。
お祭りは正宮に準じて行われ、祈年祭神嘗祭新嘗祭の奉幣の儀も、正宮につづき勅使が参向して幣帛が奉られます。また、20年に一度の式年遷宮が、第一別宮のみ正宮と同年に斎行されることからもその重要性がうかがえます。
(公式サイトより)
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主祭神豊受大御神荒魂
社格等:式内社(大)・豊受大神宮別宮
創建:804年以前
本殿の様式:神明造


外宮での参拝を終え、最初の火除橋と異なる北御門・火除橋から月夜見宮に真っすぐ伸びる道を約7分進みます。

月夜見宮


14:19~14:28
月夜見宮豊受大神宮別宮)<参拝>
つきよみのみや】

月夜見宮

月夜見宮
外宮から北へ300m、伊勢市駅から500m西へ行くとあるところにあります。
月夜見尊つきよみのみこと)と、その荒ぶる神霊である月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)の2柱の神を同じ社殿に祀っています。
皇大神宮(内宮)別宮の月讀宮では月讀尊と荒御魂は別の社殿で祀っていますが、月夜見宮では同じ社殿で祀るのが特徴。
外宮の火除橋、北御門から直線道で辿り着き、正面の鳥居を抜け左に曲がり右を見ると月夜見宮があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
月夜見宮の由緒と沿革>
月夜見尊は『古事記』、『日本書紀』によると、伊弉諾尊伊弉冉尊の二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月夜見尊をお生みになられ夜之食国をお治めになるようにご委任になられたと記されています。
また、『日本書紀』には、天照大御神のご神徳は「光華明彩、六合の内に照り徹らせり」とあり、太陽にたとえられていますが、月夜見尊のご神徳はそれに次ぐものとして月になぞらえたと考えられます。
月夜見宮は、伊勢市の中心部に鎮座しますが、古くは高河原と呼ばれ、川の流れと農耕に深いつながりのあるお社です。『延喜太神宮式』には「月夜見社」とあり、外宮の摂社の首位に列せられておりましたが、鎌倉時代のはじめ、第83代土御門天皇の承元4年(1210)に、別宮に昇格されました。
外宮北御門から月夜見宮に真っすぐ伸びる道は、地元の人々に「神路通り」と呼ばれ親しまれています。この道は神様が通う道とされ、真中を歩くことなどを遠慮する習慣があります。
(公式サイトより)
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主祭神月夜見尊月夜見尊荒御魂
社格等:式内社(小)・豊受大神宮別宮
創建:延長5年(927年)以前
本殿の様式:神明造

御朱印は、境内の宿衛屋で拝受。

御朱印 月夜見宮

境内右奥に摂社・高河原神社あり、参拝。

14:23
高河原神社(豊受大神宮摂社)<参拝>
【たかがわらじんじゃ】 

高河原神社

▽高河原神社▽
月夜見宮の右奥に鎮座する外宮の摂社。
宮川の河岸段丘上の高河原であるこの辺りの守護神をお祀っています。
月夜見宮の奥にあるので、見逃し易い感じです。
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主祭神月夜見尊御魂
社格等:式内社(小)・豊受大神宮摂社
創建:延暦23年(804年)以前
本殿の様式:神明造
主な神事:神嘗祭

ここで、伊勢神宮内宮・外宮の別宮を含む主な伊勢国の神社を参拝を終え、この日最後は、志摩国にある別宮・伊雑宮へ。
 
伊雑宮近鉄伊勢市駅から1時間程の近鉄志摩線上之郷駅近くにあります。

14:50
伊勢市駅から普通列車の賢島行の前に出発する五十鈴川行きの急行に乗車。

五十鈴川到着後折返し名古屋行き急行


14:55
五十鈴川駅に到着。
ここからは、15分待って15時10分発賢島行・普通列車に乗車。

賢島行き普通列車

列車は、TOBA-SIMAのラッピングした列車。

TOBA-SIMAのラッピング

車内もラッピングされていました。

TOBA-SIMAのラッピング車内

五十鈴川駅から41分。
無人駅の上之郷駅に到着。

上之郷駅

こちらで2分程停車。
下車したのは、私と地元学生1名。

上之郷駅

下車する際に運転士の横に乗務していた指導員らしき方にフリーきっぷを提示して下車。
駅前は何もなく、50m先の正面には国道167号線があり、突き当りには、伊雑宮への道案内板がありました。

道案内板

道案内図通りに進むと鳥居が見えてきます。

伊雑宮

15:55~16:04
伊雑宮皇大神宮別宮)<参拝>
【いざわのみや】

伊雑宮

近鉄上之郷駅から徒歩3分程にある伊雑宮
伊勢国から離れた志摩国にある別宮はここだけです。
境内は大きな木々が茂る森の中に伊雑宮が鎮座しています。
行った時は、6名程の若い集団が大声で話しながら参拝していましたが、その方が去るのを待って参拝。

伊雑宮

御朱印は、境内にある宿衛屋で拝受。

御朱印 伊雑宮

▽ 伊雑宮 ▽
伊雑宮の由緒と沿革>
伊雑宮の創立は約2000年前、第11代垂仁天皇の御代といわれます。皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命が御贄地を定めるため、志摩国をご巡行された後、伊佐波登美命がこの地に神殿を創建し、天照大御神の御魂をお祀りしたと伝えられています。
志摩国は、大伴家持が『万葉集』に「御食つ国 志摩の海女ならし 真熊野の小船に乗りて 沖へ漕ぐ見ゆ」と歌ったように、風光麗しく、海産物に富み、古来神宮と朝廷の御料を貢進した土地とされ、今でもアワビや伊勢海老の神饌が奉納されます。
延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳』には宮名が記されており、それ以前から別宮として位置付けられていたと考えられます。
鎌倉時代の『吾妻鏡』には、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雑宮に贈ったと記されています。江戸時代には両宮参拝の後、伊雑宮に詣でることも珍しくありませんでした。
(公式サイトより)
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主祭神天照坐皇大御神御魂
社格等:式内社(大)論社・志摩国一宮・皇大神宮別宮
創建:804年以前
本殿の様式:神明造

 
参拝を終え、上之郷駅からの電車まで約30分あるので、すぐ近くにある倭姫命の旧跡地へ。

伊雑宮から200m。約5分程歩いた細い路地を歩くと、集落の一画に倭姫命(やまとひめ)旧蹟地があります。
倭姫命(やまとひめのみこと。生薨年不明)は、記紀に伝える古墳時代以前の皇族。

倭姫命旧蹟地

こちらは、大正年間に楠の根本から墳墓の天井石とともに鏡や勾玉が出土したと言われている場所です。
付近は綺麗に整備され、鳥居もありました。

伊佐波登美命鎮座地

さらに、近くには「風呂屋の谷」があります。

風呂屋の谷

昔、この場所で伊雑宮参りの前に身を清めた所のようです。

風呂屋の谷

16:20
駅に戻り、賢島方面の列車が通過。

通過列車

16:31
上之郷駅から近鉄志摩線伊勢中川駅行の普通列車に乗車。
列車は先程乗ってきた時と同じラッピング車両。

伊勢中川駅行・普通列車

17:08
五十鈴川駅の4番線に到着し、1番線の大阪上本町行急行に乗換。

1番線の大阪上本町行急行

17:13
五十鈴川駅始発の大阪上本町行に乗車。
LC車ですが、ロングシート仕様で約2時間半乗車します。

LC車

五十鈴川から2時間24分。

19:37
鶴橋駅に到着。

鶴橋駅

このまま自宅に帰宅。
1日目の近鉄電車フリーきっぷ旅は、ここで終了です。

なお、初日の乗車券の金額は総計5,630円でした。
・鶴橋→五十鈴川 2,180円
・宇治山田→伊勢市 180円
伊勢市→上之郷 650円
・上之郷→鶴橋 2,620円

自宅に戻り、本日のお土産。
赤福の白黒餅。

赤福の白黒餅

8個入(白餅4個、黑餅4個)1,000円【税込】
本店で朔日餅を食べ、お土産はこちらを購入。
 
普段食べている赤福と異なり、黒は、黒糖入りなので少し黒糖の味がします。
白は白小豆を使ったものです。
 
伊勢市を中心に名古屋などの一部の店舗でしか購入できないものです。

<次は2日目、伊勢の旅②へ>

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