岡山・吹屋の旅
◆岡山備北・吹屋日帰り旅◆
~2023年8月6日(日)~
今回の旅は、2020年6月19日に文化庁が認定した「日本遺産」登録地・岡山の吹屋地区へ。
日本遺産は、「ジャパンレッド」発祥の地 -弁柄と銅の町・備中吹屋-です。
標高約500mにある赤い町並み。
かつて国内屈指の弁柄(べんがら)と銅(あかがね)生産で繁栄した鉱山町・吹屋です。
今回は、青春18きっぷで大阪から岡山を経由して備中高梁・新見から吹屋に訪問します。
04:53
自宅を出発して、JR天満駅へ。
大阪環状線・内回りの始発列車は4時53分発に乗車。
約3分で大阪駅に到着。
05:00
大阪駅から神戸線の始発列車(西明石行き普通列車・7両編成)に乗車。
14年前に長崎まで始発列車に乗車したぶりの早朝列車。
車内は、昨夜行われた「なにわ淀川花火大会」で夜遊び明けと思われる人が乗車していたり、週末の遊び疲れの人が目立ちます。
神戸駅までは当列車が始発になるので、三宮駅では立ち客も目立ち始め、6時8分に終点・西明石駅に到着。
ここで、今回使用の青春18きっぷの日付押印のため、改札口へ。
乗換時間は15分。
06:23
西明石駅から播州赤穂行き普通列車(10両編成)に乗車。
こちらは、前6両が姫路行き。
姫路から後ろ4両が播州赤穂行きになります。
まだ時間が早いので、車内は空席が目立ち、34分の乗車で姫路駅に到着。(06:57着)
これから先は、三原行き普通列車(07:05発)が向かいのホームに停車していましたが、これには乗らず朝食タイム。
姫路駅名物の「えきそば」で朝食。
下りホームにあるお店は早朝からオープンしており、今回は「きつねえきそば(420円)」を注文。
中華そばに関西風のうどん出汁。
揚げが置かれています。
味は安定。
たまに食べるので、特に良き悪しは無く、食べている間に目の前から三原行きの普通列車が発車していきました。
食事後、列車到着までまだ20分程あるので、改札外へ。
早朝の姫路駅前から姫路城だけ撮影。
ホームへ戻り7時25分に新見行き普通列車(4両編成)が入線。
本来、この新見行き列車に大阪駅から乗車するには6時発の快速列車に乗車すると、姫路駅で1分乗換ですが、着席できる保証が無いので私は始発5時発(この後の大阪発5時24分・41分・53分では後続の快速に乗り継ぎが必要)に乗車した次第。
07:31
姫路駅から新見行き普通列車に乗車。
予想通りに立ち客が目立つ車内。
この後、岡山駅で乗り換えなしで伯備線経由で新見へ。
10:49
姫路から乗り換えなしで3時間18分の乗車で終点の新見駅に到着。
ホームの向かいには米子行き(10:54発)が停車していました。
今回は新見駅から吹屋へ向かいます。
吹屋へは、路線バスがある備中高梁駅が最寄りですが、期間限定で運行している備北バスのエアポートラインを利用して新見駅からスタートします。
※エアポートライン(通称:かんとり~バス)
備北バスが岡山空港からきびプラザ・備中高梁駅・吹屋(千枚駐車場)・新見駅を期間限定で無料運行するバス。
2023年7月22日(土)から11月26日(日)の土・日・祝日に運行。
運賃は、無料。但し、乗車の際にアンケートの協力が必要です。
運行は岡山駅・新見発の各1往復。
岡山空港~新見駅
<運行時間>
岡山空港➡きびプラザ➡備中高梁駅➡吹屋➡新見駅
▷10:00➡10:25➡11:00~11:20➡12:10~12:20➡13:00
▷16:30➡16:55➡17:30~17:50➡18:40~18:50➡19:30
新見駅➡吹屋➡備中高梁駅➡きびぷらざ➡岡山空港
▷11:30➡12:10~12:20➡13:10~13:30➡14:05➡14:30
▷15:30➡16:10~16:20➡17:10~17:30➡18:05➡18:30
10:55
新見駅で35分のバス待ち。
久しぶりに来たので駅で入場券を購入。
通常の入場券を申し出たが、駅限定の西日本懐鉄入場券を提示したのでそれも購入。
その後、駅前にある新見市観光案内所でマンホールカードを頂き、小休憩。
なお、このマンホールは、駅裏(徒歩約10分)の新見美術館の駐車場付近にあるようですが、時間がないため行きませんでした。
11:21
新見駅駅前の3番乗り場(路線バスは1-2番のみ)に期間限定の「かんとり~バス」が到着。
運転手の他、おもてなしガイド(学生風)の若い男性が添乗。
事前に予約をしていたので、名前を言って自由席の車内に着席。
乗客は3名。
(ネット予約を1週間前にしても、返答メールが来ないシステムだったので少々不安でした)
11:30
新見駅前から中型バス(27席)で約16.2km離れた吹屋地区にある千枚駐車場へ出発。
標高550mの吹屋へは、山間部沿いの道を少しづつ上り約30分で到着。(11:59着)
駐車場には、備中高梁駅前の高梁バスセンター発の(小型)路線バスが駐車していました。
かんとり~バスは、ここで約10分停車し、備中高梁駅経由で岡山空港に向かいます。(12:20発)
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<参考>
定期路線(備北バス)「吹屋」行き
片道料金:800円 (平成30年4月1日改正版)
高梁バスセンター ⇒ 吹屋
10:50発→11:48着
13:50発→14:48着
18:00発→18:58着
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吹屋 ⇒ 高梁バスセンター
06:50発→07:48着(平日のみ運行)
07:15発→08:13着(土・日曜日・祝日のみ運行)
09:05発→10:03着(平日のみ運行)
12:45発→13:43着
15:45発→16:43着
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到着後、すぐ先には石州瓦とベンガラ漆喰壁の赤い町並みが見えてきました。
昼食のため町並にある人気のスープカレーのお店(つくし)へ。
時間は、12時ちょうど。
店前には10名程の行列。
時間がかかりそうなので、旧吹屋小学校の道沿いにある「吹屋食堂」へ。
12:06-12:26
入店すると左側の座敷には、大家族連れと数組の先客が食事をしており、入口付近のテーブル席が空いていたので着席。
注文は、「けんちん田舎そば(800円)」。
少し時間が要する言われましたが、10分程で到着。
食べてみると、少し濃い目の醤油だしが効いた具材豊富な蕎麦。
麺は、口コミ通りに途中で切れた短い麺。
店の奥には若い男性が蕎麦を作っている光景が見えていますが、調理場には3名程の女性陣。
料理を持ってくる前に、座敷や他のテーブルが空いているのに、老夫婦が私の座るテーブルの前に着席。
女性のみマスクをしていますが、男性側は入店後、テッシュペーパーの箱を自家用車(?)から取りに行き、妙な行動を。
案の定、人が食事をし始める前に注射器を持ちながら何かをし始め、見苦しい状況。
隣にいる女性も、注意をせず、老人はそのまま注射で血?を採っていた感じ?(気持ち悪いので直視せず)
このような感じの中、そばの麺も短く、口コミ通りの評価のお店。
店員の方は、愛想は良かったですが、食事中の行為で印象は良く無かったです。
前の変な高齢者に気分を害して、早く食べきり退店。
■旧吹屋小学校■
12:33-13:03
食事を終えて、前の登坂を3分程歩くと、旧吹屋小学校に到着。
<旧吹屋小学校>
明治33年(1900)に東西校舎、続いて同42年(1909)に本館が建築され、平成24(2012)の閉校まで「現役最古の木造校舎」として使用されました。当時の吹屋は、吉岡銅山と弁柄の生産で繁栄しており、大正7年(1918)には最大369名の生徒が在籍していました。敷地内には、二階建ての本館を中央に東西校舎が左右対称に配置され、特に本館は下見板張の外壁や軒下の筋違の表現が特徴的で、小屋組みにはトラス構造が採用されています。本館の設計は、国の重要文化財(建造物)に指定されている「旧遷喬尋常小学校校舎」(真庭市)、「旧旭東幼稚園園舎」(岡山市)を設計した江川三郎八(岡山県工師、1860~1939)が担当しており、明治時代後期を代表する擬洋風の学校建築として評価され、岡山県の重要文化財(建造物)に指定されています。平成27年(2015)からは、貴重な文化財建造物として将来に継承するために、建物を全解体し、地盤補強と建物の構造補強を実施する保存修理工事に着手し、令和4年(2022)2月に竣工しました。今後は、吹屋の歴史や文化を情報発信する地域の新たな拠点施設として活用されることになりました。(高梁市日本遺産推進協議会のサイトから抜粋)
入場料500円を払い見学。
(2022年4月21日開館)
1階の玄関先右の事務室で入場料(500円)を払い入室。
靴を脱ぎスリッパに履き替えると、すぐ先に左右(西東)に続く三間廊下。
明治時代後期を代表する擬洋風の学校建築として評価され、岡山県の重要文化財に指定されているこの施設。
長い廊下ですが、改築後なので、窓枠が新しい印象。
ちょっと古い趣は感じられません。
続いて、右側(東廊下)へ。
事務室の横には日本遺産センターがあります。
こちらには、XR体験教室(有料:1,000円)ができるようです。
さらに渡り廊下先には、東校舎。
こちらには、体験教室と復元教室があります。
再び渡り廊下に戻り、2階へ。
渡り廊下には下駄箱とトイレ風の囲いの更衣室らしきエリアがありました。
東廊下から三間廊下の間にある階段で2階へ。
2階は本館のみ存在。
すぐ見えた部屋は展示室。
その先には講堂があります。
ここには、明治33年(1900)に購入された「100年オルガン」が置かれていました。
立ち入り禁止で鍵盤がはっきり見えなかったのが残念です。
講堂の先には、教室があり、ランドセルが椅子に掛けられ、若いカップルがはしゃいでいました。
2階の教室の先に階段があり西廊下と三間廊下の間に降りてきます。
廊下の先には、日本遺産センターの部屋があり、その奥(玄関先横)は校長室がありました。
展示物は、昔の吉岡鉱山のものが多い感じです。
西廊下先の西校舎にある多目的室は、この日イベントの控室として入室禁止のエリアでした。
全体的に2015年から2022年まで保存修理で美しくなり、古き趣が感じられない印象の残る小学校でした。
校庭にあるプールは、池として展示していました。
旧吹屋小学校を後にして、この日限定のボンネットバスに乗車(無料)できる千枚駐車場へ。
■ボンネットバス乗車体験■
13:30-13:37
2023年7月から9月の日曜限定で千枚駐車場から吹屋の街並みを通る懐かしのボンネットバスが運行。
こちらは、車内のアンケート実施者限定で無料で乗車できます。
<ボンバス運行>
・運行期間:令和5年7月~9月の毎週日曜
・乗車運賃:無料(先着順/定員20名)
※車内でアンケートに協力していただける方
・出発場所:千枚駐車場
・出発時間:12:30/13:00/13:30/14:00/14:30/15:00
・乗車時間:約10分
・運行ルート:千枚駐車場→吹屋町並み→千枚駐車場
吹屋町並みの中にある黄金荘横の空き地で折り返す「ぼんばす」に乗車。(時間約7分)
ボンネットから聞こえるエンジン音の大きさ。
車内(13:30発)には10名程が乗車していました。
12:30は10名。13:00は7名の方が乗車していたようです。
この後は、再び町中を通り、約1.5km先のベンガラ館へ。
町通りを過ぎると、下町駐車場があり、その先の道路を20分歩きます。
道は、舗装された道路ですが、登坂が続きます。
■ベンガラ館■
13:53-14:13
ベンガラ館に到着。
徒歩で来るのは、少し遠く感じます。(約20分)
入口で入場料300円が必要です。
今回は、4施設が1,000円で入れる周遊券を購入。
ベンガラは赤色顔料として宝永4(1707)年に吹屋で開発され、特産地として栄えたようです。ベンガラ館は明治の頃のベンガラ工場を復元したもので、ここでは当時の製造工程を紹介しています。
早速、中に入ると誰も居ません。
受付の女性から各建物内入口のボタンを押すと案内が流れるので。。。と言われ、最初の釜場室へ。
<①釜場室>
原料の緑礬(ローハ)を乾燥して焙烙(ホーロク)に少量ずつ盛り、それを約200枚前後土窯の中に積み重ね松の薪で700℃位の火力にて1日~2日焼くと赤褐色の焼キができます。
<展示室>
釜場室の奥は、資料室の建物。
室内には、関係資料などの展示物がありました。
<②水洗碾臼室>
焼キを水洗碾臼(ひきうす)室に運び、水を加えかきまぜる方法で粗いものと細かいものにより分けます。それをより細かくするために水車を動力とした石臼で碾(ひ)きます。
<③脱酸水槽室>
含まれている酸分をぬくために脱酸水槽室に送り、きれいな水を入れてかきまぜる方法を数10回から100回位繰り返して酸をぬきます。
(ベンガラと水は絶対に溶け合わないので時間がたてばベンガラは沈殿し、酸の溶けたうわ水を捨てるという方法です。)
<④ 干棚>
酸のぬけたものを干板にうすくのばして干棚の上に並べ天日乾燥をします。それが製品の弁柄(ベンガラ)です。
昔はそのままのものを板流しと呼んでおりました。又トンコという篩(ふるい)にかけてけし状にしたものもありました。
以上でベンガラの製造工程を見学できましたが、途中の資料室で弁柄製造工程図が貼られていました。
◆弁柄(ベンガラ)とは
別名紅殻とも云う。酸化第2鉄(Fe₂O₃)を主成分とする赤色の無機顔料である。ベンガラの名は、インドのベンガルに由来しているといわれる。
朱とともにもっとも古くから用いられていた赤色顔料である。吹屋の弁柄は吉岡銅山との関係が深く、銅山の捨石である磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)から偶然発見されたといわれる。
ちなみに、緑色の結晶体・緑礬の原料は磁硫鉄鉱です。
<高梁市成羽町観光協会吹屋支部・ベンガラ館資料より>
見学時間約20分。
入口の手前に隣接する建物(ベンガラ陶芸館)には、お土産品の販売もあり、横では体験コーナーがありました。
こちらでは、ベンガラ焼の土ひねりと絵付けの体験ができるようで、大勢の親子が参加されていました。
弁柄を学び、次は笹畝坑道へ行きますが、再び山道を下り、笹畝坑道方面の上り道を歩く(約20分)のは大変なので、今年(2023年)4月29日から土日祝日に導入された小型電気自動車・グリーンスローモビリティ(グリスロ)に乗車。
この乗り物は、日本遺産「『ジャパンレッド』発祥の地」に認定された成羽町吹屋地区に高梁市が現地の三輪バイクの貸し出し業者に業務委託(委託費200万円)をして、講習を受けたスタッフが運転手を務める乗り物。
運賃は無料。
乗客6人乗りが30分間隔で吹屋地区の観光ポイントを巡ります。
<コース>旧吹屋小学校→集会所・黄金荘横→下町駐車場→ベンガラ館→笹畝坑道→広兼邸(折り返し)
片道(約5キロ)、所要時間は30分。
<運行時間>午前11時~午後3時半
2台が30分間隔で走り、1日8往復。
14:15
ベンガラ館(ベンガラ陶芸館)前からグリスロに乗車。
乗客は4名(2組の中年風カップル)が乗っていましたが、乗車可能だったので約5分で、次の笹畝坑道前に到着。
■笹畝(ささうね)坑道■
14:22-14:55
こちらは、吉岡(吹屋)銅山跡を観光できるようになっています。
こちらの入館料は400円。
先程の周遊券を利用して入坑。
受付の愛想の良い男性が、
「できればヘルメット付けた方が良いよ」と言われ、
受付付近に並べていた黄色いヘルメットを着用。
(男性曰く、私も毎日朝にチェックするとき、頭2-3回打ちますよ!)
↓
結果的に、言われた通り、2-3回頭を軽く当たりました。
入口を入ると外の暑さが凌げる涼しさ。
年中15度前後の坑内は320mが整備され一般公開されています。
坑内には、斜坑跡があったり、熟成清酒の貯蔵庫がありました。
奥を覗くとお酒が置かれていました。
約15分位で坑内の整備エリア先端へ。
坑内では、車で来ていた2組のカップルらしき4人組が折り返し場所の手前ですれ違いましたが、殆ど人は見掛けませんでした。
(標高512mの此の地には、アクセスが悪すぎます)
坑内にあった「磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)」の表示板。
黄銅鉱(おうどうこう)の表示板。
ちょっと素人には分かりませんが、複数の銅石が採掘されていた感じでした。
従来の出口は、坑道の上に抜ける道でしたが、少し危険がありそうになった箇所があったようで、入口方面に戻る道に途中から変更になっていました。
坑道内の見学は、ゆっくりだと20分以上は必要です。(片道10分程)
涼しい坑道内から出口へ。
閑散とした地。
受付のおじさんは、お客さんが来ないので、道周辺を掃除しており、最終便のグリスロが到着するまで、会話をして頂きました。
<吉岡(吹屋)銅山>
吉岡(吹屋)銅山は大同2年(807)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に記載があるが、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏(あまごし)と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にあったが、大部分の間は、天領(てんりょう)幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいた。長い歴史のなかで繁栄期は、次の三期であった。
(1)時代:元禄年間(1690)
経営者:泉屋(住友)
継続年数:35年
(2)時代:享保~天保年間(1716-1842)
経営者:福岡屋(大塚)
継続年数:2回で107年
(3)時代:明治~昭和年間(1873-1930)
経営者:三菱(岩崎)
継続年数:57年
江戸時代の採掘は手掘りで、鉱区の少範囲であったが、坑内の排水が非常に困難であり水抜坑道を掘りぬいた時期が繁栄していた。明治以降三菱金属㈱の経営となり、附近の小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し日本で初めての洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなった。この鉱山は笹畝(ささうね)と称し、支山(しざん)であったが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡している。ここでは黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出された。特に江戸時代にはこの地から馬の背にのせて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟に積んで玉島港まで行き、海路を利用して大阪の銅役所へ運ばれていた。
<高梁市成羽町観光協会吹屋支部・吉岡(吹屋)銅山 笹畝坑道 資料より>
15:09
笹畝坑道からグリスロに乗車。
乗客は2名の中年風夫婦が乗っていましたが、ここから私1人も乗車。
山道をゆっくりしたスピードで、ベンガラ館、下町駐車場を経て、町中にある黄金荘横で下車。
同乗していた二人の方も、ここで下車。
この後は、旧吹屋小学校までですが、町中で観光していた6名ぐらいの人に小学校の登坂手前で乗車したい依頼を受け、特別に乗車させた感じでした。
(乗車していた時、石見銀山のように有料化すれば良いのにと言ったら、その場合2種免許取得や諸条件があるので色々と難しくなりますと言われてました。
2台の車両は高梁市が購入し運行管理(業務委託)されているので、おそらくこのまま行くのでは無いかと言われてました。
また、4月下旬から運行され、GWでは乗車定員6名なので乗車できない方が、ベンガラ館まで歩く方が居たり、下町駐車場が満員で路上駐車状況で賑わった話もされていました)
黄金荘横の乗り場で下車し、200m程町を歩くと郷土館が右側にあります。
■郷土館■
15:26-15:35
郷土館は、ベンガラ窯元片山浅次郎家の総支配人片山嘉吉(当時吹屋戸長)が分家され、明治7年(1874)ごろより企画し本家の材木倉より良材を運び、石州の宮大工、島田網吉の手により明治12年(1879)3月完成されたものです。
2階には、6畳ほどの隠し部屋と呼ばれる部屋があります。
入館料は、500円。先程の周遊券を使用。
こちらは、向かいの旧片山家住宅と2館共通券です。
2階に上がるとすぐに居間があります。
居間の奥には、映画「燃えよ経」で使用したふすま絵が置かれていました。
隠し部屋にある納戸
<郷土館>
弁柄窯元片山浅治郎家の総支配人片山嘉吉(当時吹屋戸長)が分家され、明治7年(1874)頃より企画し本家の材木倉より良材を運び(当時、片山家は農業柄千余町歩の山持なり)、石州の宮大工、島田綱吉の手により、明治12年(1879)3月完成されたものです。当時の模様が最もよく保存されているので、当主片山恵資氏に請い、郷土館としています。
間口5間、奥行16間、中級の商家の定形で、店より通り庭で母屋の奥に味噌倉、米倉を配し、母屋の採光のために中庭をとっています。土台と外側の柱はすべて栗の角材を使い、縁敷居は桜の巨材を使っています。
この家の特徴は、木組は巨材を使い、細部は巧緻というほかなく、ことに座敷の書院まわりは、生漆と弁柄で塗り上げ、それぞれに飾り金具を用いている。専門家も「これ程の良材と大工の手のそろった家は世に少ない。」と感嘆しています。
<高梁市観光協会吹屋支部・郷土館 資料より>
■旧片山家住宅■
15:37-16:00
郷土館の斜め向かいにある旧片山家。
片山家は宝暦9年(1759)の創業以来、200余年にわたって、吹屋ベンガラの製造・販売を手がけた老舗。
弁柄屋としての店構えを残す主屋とともに弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並ぶところです。(平成18年12月・国の重要文化財指定)
こちらの入館料は、郷土館と共通で500円。(こちらでは周遊券を提示)
館内に入ると、卵部屋・茶の間・店奥。
その先には、中の間・仏間・主婦居間・奥座敷と沢山の部屋がありました。
襖を開けた先にある急な階段で2階に上がります。
2階に上がると左右に家族居間があります。
こちらの家族部屋奥にある扉を開けると段差があり、ここには隠し部屋があります。
右奥へ進みます。
部屋に入ると、そこは後継者居間。
この右手前側にも部屋があります。
こちらは、客間。
後継者居間から一段下がり部屋がありました。
このような感じの狭い入口を入ると客間です。
さらに、右に客間・中央に後継者部屋がありますが、左側には当主夫婦の寝室があります。
高い段差を乗り越えると夫婦の寝室がありました。
屋根裏風で、高さは1mほどで立つことはできません。
2階の部屋を見学して、再び急な階段を降りて1階へ。
1階に降りた付近には食事部屋もありました。
玄関先には、釜戸のある調理スペースがあります。
この右側は、女中居間です。
ちなみに、調理場から見た玄関先はこのような感じです。
調理場の奥から外を出ると米蔵へ行けます。
裏手を出ると路地風です。
石道を進むと弁柄塗の建物が左に見えてきます。
左側には、弁柄蔵があり、中は当時の資料などが展示されていました。
さらに、弁柄蔵の奥には、仕事場及び部屋が見えてきます。
仕事部屋の軒下先(裏門)には、玄米蔵があります。
約20分で、旧片山家を見学。
玄関を入った主屋*の二階には、当初の豪商の隠し部屋を備えた建物があり、奥庭の弁柄蔵*・米蔵*、仕事場及び部屋*、裏門先には道具蔵・弁柄蔵・玄米蔵と並び、その周辺は東門・西裏門、南門・西門と広大な敷地でした。
(*重要文化財)
見学を終え、受付のおじさんが豪商だったので狙われるリスクを恐れ、このような多くの隠し部屋を作ったようだと教えて頂きました。
<旧片山家>
片山家は、1759年(宝暦9年)から200余年弁柄製造・販売に携わり弁柄株仲間を組織し企業の統制をとって市場を拡大して吹屋弁柄の地位を高めた豪商である。 江戸時代には庄屋を務めた。
住宅は吹屋中町に面して主屋と宝蔵が並んで建ち、主屋の後方に米蔵・米蔵・弁柄蔵・仕事場などがある。主屋は切妻造の平入、正面外壁を海鼠壁となっており、 開口部に出格子を設けている。主屋の主体部は18世紀末期に建てられており、1830年まで増築を重ねて現在の屋敷ができあがっている。
この片山家住宅は、主屋及び附属建物による屋敷構成を良く残っており、江戸時代後期の商家として高い価値がある。また、弁柄の製造・販売により繁栄した 吹屋ベンガラ街の中核をなすことから、“近世弁柄商家の典型”と高く評価され、2006年(平成18)12月に国の重要文化財に指定された。
約4時間、吹屋の町を散策。
他に少し離れた場所に映画『八つ墓村』等のロケ地となった銅山とベンガラの原料・ローハ(緑礬)製造を営み、大富豪となった広兼氏の邸宅がありますが、徒歩で約30分以上かかるので、周遊券に含まれていましたが今回はパスとしました。
16:20
帰りも無料バス(かんとり~バス)で、今度は備中高梁駅まで乗車。
このバスは新見発で、終点は岡山空港。
帰りの車内は、10名程乗車し、来た時の3名とは大違い。
路線バス(高梁バスセンター行き)が35分前に最終が出て、800円の運賃が必要でないこちらのバスを利用している方も居そうでした。(私もです)
バスは、標高550mの吹屋地区から舗装はされていますが、山合の道を下り続け乗車51分でJR備中高梁駅(東口)に到着。(17:11着)
この駅で6-7名が下車。
トイレ休憩を兼ねて20分の休憩があり、17時半に岡山空港に向けて出発。
下車する際に、予約なしで乗車したい中年男性が、アテンドさんに乗車依頼してました。(予約なしでも、空席があれば乗車可能)
備中高梁駅から電車で岡山駅方面に行きますが、約20分待ち。
駅舎西側(2F)には、蔦屋書店とスターバックスが高梁市図書館に入る珍しい所を見学。
館内では地元の人がコーヒーを飲みながら5-6のテーブルは満席。
ゆっくりする場所が無いので、2階の改札口からホームへ。
17:31
備中高梁駅から伯備線から山陽線の三石行き普通列車(4両)に乗車。
乗車した車両は、朝に姫路から新見まで乗車した車両(クハ111-270)でした。
車内は空席が多かったですが、中高生風の人が目立ちました。
列車は、このまま岡山から東に行きますが、三石止まりのため岡山駅で下車。
(18:26着)
18:30
岡山駅で下車をし、定番の桃太郎像へご挨拶。
18:35-19:00
夕食は、岡山駅地下にある「はしや」さんへ。
こちらで「はしや定食(税込1,859円)」を注文。
鮪の刺身と牛ステーキ(AUS産)が付いた定食。
白米を選べますが、十六穀米を選択。
(ごはん、みそ汁のお替り自由)
一つ一つの味も良く、店内もゆっくりできましたが、列車の時間を考慮の上、美味しく頂きました。
19:17
岡山駅から姫路行き普通列車(4両編成)に乗車。
いつも青春18きっぷでこの時間帯に岡山駅から乗車すると、ほぼ満席。
今回もそれを承知の上、10分前に整列。
6分前(19:11)に同じ3番線から播州赤穂行きが発車しますが、同じ番線に発車の3分前に入線。
列車は、山陽線を東に走り、定刻20時40分に姫路駅に到着。
20:55
姫路駅で15分待ち、米原行き新快速(12両編成)に乗車。
日曜日で、窓側の席は半分以上着席され、灘付近から尼崎手前で雨が降っていましたが、定刻21時58分に大阪駅に到着。
この後、自宅まで列車に乗換え、22時半には自宅に到着しました。
今回は、備北バスさんが無料で吹屋までバスを運行する機会があったので、旧吹屋小学校とベンガラの町並み・吹屋を観光する旅でした。
以上