とらすず日記

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鉄印旅【由利高原鉄道】

鉄印旅(東北・函館編④ 2日目 1/2)
新庄~羽後本荘~矢島(由利高原鉄道

~2021年4月23日(金)~

宿泊先のポストホテルで7時からの朝食。




目玉焼きと焼き魚はカウンター越しに一人づつ手渡しで、冷えてはおらず温かさがありました。
その他は小鉢に入っており、ご飯とみそ汁、飲み物だけ自分で入れるシステムになっていました。(朝食として丁度良い量かもしれません。)

ホテルを8時頃に出発し、新庄駅へ。
この日は、陸羽西線で余目方面から羽越本線羽後本荘へ。
新庄駅には回送の山形新幹線が停まっていましたが、しばらくすると発車していきました。
(車両には東北DCのステッカーが貼られていました。)





08:12
陸羽西線、普通余目行きに乗車。
2両編成で、乗客は4-5名ほど。





定刻8時58分に余目駅に到着。



ここから羽越本線酒田行き普通列車に乗り換え。
乗り換え時間が18分あるため、一旦駅前へ。



駅前は広いロータリーがありますが、車や人が殆ど居ませんでした。

09:16
余目駅から酒田行列車に乗車。





15分ほどの乗車で酒田駅に到着(09:31)。



09:35
4分乗り換えで酒田駅から秋田行き普通列車に乗車。
車両は4両編成。
平日なので、人が少なく乗った車両は2-3名。

10時37分、羽後本荘駅に到着。



ここから由利高原鉄道の列車に乗車しますが、フリーきっぷを購入するため跨線橋を上り下りして改札を出て、1日フリー乗車券「楽楽遊遊乗車券」(830円)を購入。



この切符、本来なら1,100円しますが、昨年7月頃から秋田県由利本荘市の補助などで850円で平日限定分と土曜休祝日分が販売され完売した商品でしたが、4月から再度平日も使えるきっぷとして新価格(830円)で発売しています。

10:43
由利高原鉄道のホームには、まごころ列車が停車中。



定刻の10時43分に発車。
沿線の子吉川沿いをのんびり走行。

まごころ列車は、1日1本だけ、絣(かすり)の着物を着た秋田おばこ(若い娘)姿のアテンダントさんが常務する列車です。



(終点の矢島駅で記念写真を撮影させていただきました)



今回は、偶然その列車に乗車。
車内では沿線の紹介や車内販売など。
乗車するとすぐに沿線のパンフレットを受け取り、乗車記念のしおりも頂きました。
この日は、多種多様の木材を利用した「鳥海おもちゃ列車「なかよしこよし」」が運行されていました。 車内には子供さんが遊べるコーナーや書籍などが置かれ、テーブルー・ソファー付きの車内は普通列車として走っていました。
デザインは、「オフィスフィールドノート」(福岡市)の砂田光紀代表が担当。 砂田代表は「鳥海木のおもちゃ美術館」(由利本荘市)「東京おもちゃ美術館」(新宿区)の総合デザインや「長門おもちゃ美術館」(山口県)で運航する「おもちゃ船」の改修なども手掛けています。
座席数 4人掛けボックス席×4、サロン席×1、パノラマ席×6、ロングソファー席×1、ショートソファー席×1 計約30席

約40分の乗車時間。
由利高原鉄道の中間点あたりの前郷駅では、今では珍しいタブレット交換の様子を見ることができます。
下り列車の運転手から駅員に小さなスタフ(羽後本荘〜前郷間の通行証)が手渡され、駅員からは大きなタブレット(前郷〜矢島間の通行証)が渡されます。



この日は、写真を撮りたいと言ったら駅員さんと運転士さんが、こちらに大小のタブレットを見せながら交換していただきました。

 <タブレット閉塞とは>
同じ線路に2つ以上の列車が走って衝突する事を防ぐために、金属製の円盤(タブレット)を持った列車だけが線路を走る仕組み。 由利高原鉄道の前郷-矢島間はタブレット閉塞、羽後本荘-前郷間はスタフ閉塞です。

また、車窓から鳥海山も綺麗に見えていました。



11時22分。定刻に矢島駅に到着。



羽後本荘駅からは沿線の方が7-8名、観光客らしき人が2-3名乗車し、平日の午前のローカル列車としては、多くの方が座席に座っていました。
(終点では、4-5名下車しただけでした。)

矢島駅に到着すると鉄印を購入する男性がいました。
由利高原鉄道では、「社員さん直筆鉄印(300円)」とマツコデラックスさんとも共演された「まつ子さん直筆鉄印(500円)」の2種類が通常鉄印として購入できます。
もちろん、まつ子さん鉄印を購入しましたが、事前に社員さんのブースで受付してお金を払い、下書きに基本となる押印を押した上に、まつ子さんのところに鉄印帳を持って行き記帳していただけます。

まずは、社員さんの受付でお金を支払います。



その後、右の観光案内所にいるまつ子さんに記帳を依頼。



桜茶が提供されます。



4種類の字体を選び書いていただきます。



今回は、東北DC版(300円)も購入しました。

ここで、由利高原鉄道の鉄印GET!(通算33個目)

◆鉄印◆



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◇記帳場所 矢島駅
◇記帳時間 09:00~17:00
◇記帳料  300円(由利高原社員直筆)
      500円(まつこさん直筆)
◇記帳条件  
・当日有効な乗車券  
・鉄印帳
◇デザイン)  
 朱色の鳥海山、金色のおばこスタンプを押印後、社員またはまつこさんが直筆を記帳。(まつこさん記帳は、4種類の字体が選べます。)
◇ひとことメモ
 行ったとき、矢島駅に11時22分に到着。
 折り返し列車が矢島駅11時35分発。
 13分ありますが、まつこさんの記帳にひとり待ちぐらいなら少し余裕があります。
 私の場合、次の列車が13時50分発で2時間28分矢島駅で待つことに。
 食事をしたり、城跡・寺院巡りなど1時間程駅近くで散策すると2時間程時間をつぶすことができました。
(駅前の多賀部食堂さんではフリーきっぷ提示で50円引きの特典がありました)
 また、まつこさんも忙しそうで、記帳後の昼には一旦売店を閉じて外出され、14時以降も予定があるようでした。

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由利高原鉄道
Yuri Kōgen Railway Ltd
1922年 羽後本荘 - 前郷間 (11.6km) が横荘鉄道西線として開業。
1937年 横荘鉄道西線を買収・国有化し国鉄矢島線へ。
1985年 国鉄矢島線を転換し、由利高原鉄道鳥海山ろく線が開業。
羽後本荘~矢島 12駅(23.0km)


次の列車まで2時間28分待ち。
まつ子さんの鉄印をいただいた後、昼だったので駅前の「多賀部食堂」へ。



ここでラーメン(550円)を注文。



スープは鶏だしで和風醤油味。
具は鶏肉、メンマ、ネギ、海苔。
麺は中太。
あっさり味で鶏肉が入っているのは初めてだったかも。

お店は、12時前に二人のOLが入っており、その後2・3組の作業されている方が来たので帰るときは10名以上のお客さんで大盛況でした。
(フリー切符の提示で50円引いて頂き、ワンコイン500円で済みました)

12:04
食事を終えて矢島駅周辺を散策。
最初は、10分程歩いて八森城跡(矢島城跡)へ。



裏には、矢島小学校の校庭があり一区画だけ名残があるところです。



~八森城址
由利十二頭の一人、大井氏の古城跡と伝えられ、慶長年間になって楯岡満広が、また元和九年(1623)には打越光隆が共に矢島領主としてこの城に入った。
その後更に讃州高松十七万石余石の城主生駒壱岐守高俊は、家臣の騒動によって領地没収となり、寛永十七年(1640)勘忍料として由利矢島の地に一万石を賜り、居城を八森城に定めた。
その後明治元年まで十三代229年に及んだが、戊辰の奥羽戦争に当り庄内軍の鳥海山頂越えの奇襲により遂に八森陣屋を自焼して仙北戦線に退いた。
今は城址内にある老松に打ち込まれた弾痕に昔のよしがをしのぶことができる。
由利本荘市のホームページ抜粋>

さらに、校庭の奥には矢島招魂社、矢島神社が並んで立っていました。



ここは、高台にあり、下には矢島駅など周辺の景色が望めるところでした。



その後、5分ぐらい歩くと金嶺山龍源寺があります。(無料拝観)



本堂へは自由に入れ、一周ぐるりと回ってきました。
茅葺屋根造りの木造寺院は国の登録有形文化財に登録され、立派な建物です。






~金嶺山龍源寺~
 道元禅師を開祖とする福井の永平寺、横浜鶴見の総持寺を両大本山とする曹洞宗寺院。
 元和9年(1623)、由利十二頭の一人打越左近光隆、常陸国行方郡新宮より、矢島領主として移封の際、因縁のあった常陸国行方郡八代(現茨城県行方郡牛堀町)長国寺八世即殿分廣和尚の弟子、白峰廣椿和尚を伴い来たり、創建。
但し開山については、本師を開山とし自らは二世となっているが、末寺の鳥海町笹子慈恩寺、同町中直根正重寺は、白峰廣椿和尚が開山となっている。因みに矢島町山寺にあった地蔵庵は正式には白峰庵といい、廣椿和尚の隠寮であったと言われる。
 寛永11年(1634)打越光久(光隆実子)死去後、後嗣定まらず、矢島領は庄内酒井家の預かり領となったが、寛永17年(1640)讃岐高松十七万三千石の領主生駒高俊公が故あって幕府の領地収公に逢い、矢島一万石に移封さ、当龍源寺を菩提所した。
 開創以来明治初年に至るまで、二度の火災の記録があるが、戊辰の役の際、全堂宇焼失という戦禍を受けている。因みに、勤王側に立った矢島藩に対する庄内藩の進攻によるものである。
 従って、現在の諸堂伽藍はその後の造営であるが、庭園を含めてその規模は、かつての西国大名であった生駒家の方針を基に、再建整備されたものであり、地理的条件にも恵まれ、地方寺院としての稀に見る佇まいといえる。
 龍源寺の特徴的な点は、旧藩時代は藩主の菩提寺の檀徒は、およそ士族に限られるというのが、大方の場合原則的な形として見受けられるが、その点に関し龍源寺は全く例外的であり、檀信徒数が比較的多いということである。これは生駒家移封当時、矢島地方は僅か五十年ほどの間に、3回の覇者交替が行われ、地元における有力者などの人脈が入り乱れ、世情極めて不安定な時代であったので、民政安定を希う生駒藩政の一環として、藩公の菩提寺の門戸を士族以外にも広く開かしめたためである。
 境内は墓地を含めて約6千坪ほどあり、その中には開基打越家墓地、生駒家墓地及び郷土史に登場する人物の墓地も多く現存している。
 建造物は、本堂、庫裡、開山堂、中興堂、開基堂、生駒家霊廟、隠寮、接客寮、山門、鐘桜堂、観音堂、その他を含め創建坪数は五百坪を超えているが、本堂玄関の様式は、本堂建築費の三分の一を要したと伝えられているだけあって、地方寺院にはちょっとその例を見ることが出来ない。
 寺宝に関しては、戊辰戦火で、その多くを焼失しているが、それでも四国高松初代生駒親正公着用の鎧一式、初代、二代、三代、四代(矢島初代)十二代藩主肖像画、生駒家寄進の調度品及び書画など相当数を蔵している。また境内より縄文時代の「鮭石」も出土している。
由利本荘市のホームページ抜粋>

龍源寺を参拝し、近くの矢島町歴史交流館前をとおり、行きとは違った道で1周ぐるりと駅前周辺を散策。
時間は、13時20分。
外は天気が良く駅前の椅子で風を浴びながら小休憩。



13時半ごろ駅舎に戻り、まつ子さんに13時50分の列車で帰りますと告げて列車へ。

<次は、矢島駅から羽後本荘秋田駅を経由し、大曲駅へ>


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