JR西日本どこでもきっぷ旅(2日目)
<大阪~出雲市~大阪>
~2021年10月20日(水)~
2日目のどこでもきっぷ旅は、山陰方面へ。
05:39
大阪駅から普通(京都行)に乗車。
5時43分、新大阪駅に到着。
06:00
新大阪駅からみずほ601号(鹿児島中央行)に乗車。
N700系8両編成の自由席で岡山駅まで。
6時50分、岡山駅に到着。
ここから伯備線で、特急に乗換。
07:05
岡山駅から特急やくも1号(出雲市行)に乗車。
3時間程乗るため、この区間は指定席を予約。
途中の雨根駅辺りで雨が降って、山陰方面は不安定な天気予報になってました。
10時10分、出雲市駅に到着。
向かいのホームには、10分程前に東京から先着していた特急サンライズ出雲号が停車していました。
サンライズとやくもが並ぶ写真を撮影。
出雲には、2006年ぶり。
早速隣接する一畑電車・電鉄出雲市駅へ。
ここから出雲大社へ。
10:25
2両編成の一畑電車の新しい車両がホームに停車。
この車両、以前JR西日本の後藤総合車両所で製造していたもの。
後藤総合車両所で見学した時に、製造していました。
他社車両なので紹介はされませんでしたが、再会。
車内には、スーツケースを持った観光客がほぼ座席に座る程度の混み具合。
この時間帯は、特急サインライズ号とやくも号の乗客が乗り換える時間で少し込み合っていました。
10時33分に川跡駅で出雲大社方面の列車に乗換。
ここで、出雲大社方面、電鉄出雲市方面、松江しんじ湖温泉方面の三列車が並んでいましたが、突如の大雨。
踏切待ちで、短い屋根の付いた下には大勢の乗客が。
10:38
川跡駅から出雲大社前行の列車に乗車。
途中には、田園に連なる鳥居が見える場所があり、撮影。
10時49分、出雲大社前に到着。
20名以上の人が降り、ゆっくり出雲大社方面へ。
入り口には、横丁が出来ていました。
車内には、スーツケースを持った観光客がほぼ座席に座る程度の混み具合。
この時間帯は、特急サインライズ号とやくも号の乗客が乗り換える時間で少し込み合っていました。
10時33分に川跡駅で出雲大社方面の列車に乗換。
ここで、出雲大社方面、電鉄出雲市方面、松江しんじ湖温泉方面の三列車が並んでいましたが、突如の大雨。
踏切待ちで、短い屋根の付いた下には大勢の乗客が。
10:38
川跡駅から出雲大社前行の列車に乗車。
途中には、田園に連なる鳥居が見える場所があり、撮影。
10時49分、出雲大社前に到着。
20名以上の人が降り、ゆっくり出雲大社方面へ。
入り口には、横丁が出来ていました。
過去に来たときは工事中で無かった?気づかなかった感じでした。
ゆっくり、出雲大社境内へ。
(11:00~12:19)
出雲大社特有の2礼4拍手1礼(通常:二礼二拍手一礼)で拝殿・八足門に参拝。
境内で最大のパワースポット「素鵞社(そがのやしろ)」にも参拝。
以前来た際、素鵞社裏の山岩に向かって礼服姿の4-5名が参拝されていました。
元々、出雲大社ができる前はここが参拝場所で、パワースポットらしいと聞いていたので参拝しました。
参拝後、拝殿裏にある御朱印受付所で御朱印を拝受。
コロナ対策で書置きと言うことなので、300円を払い、隣接する神楽殿へ。
神楽殿方向を見ると日本一の国旗が見えます。
掲揚塔の高さは47m。
平安時代の御本殿の高さ48mより少し低いですが巨大です。
国旗の大きさは、13.6m×9m。
畳75畳分の大きさです。
ちなみに、伊勢神宮内宮の国旗は2.8mx4.3m。
出雲大社の方が約10倍大きいです。
この日は強風で、神楽殿に近づくと国旗が降ろす最中でした。
神楽殿に参拝。
こちらには、巨大なしめ縄が有名。
長さ13.5m、重さ4.5t。
以前に来たときは、しめ縄の房に硬貨を投げて刺さると願いが叶うと言われ、行いましたが、今はそのような方が居ませんでした。
よーく見ても、硬貨は挟まっていませんでした。
参拝後、横の御朱印受け付け場所で御朱印(300円)を拝受。
ここも書置きだと思っていましたが、新しい御朱印帳を購入の場合だけ直筆記帳していただけると言うことで、白・青の2種類のうち、青の御朱印帳(1,200円)を購入。
担当の方が、親切に拝殿側は書置きを購入していたら、これを持って書いてきて下さい。と教えていただいたので、再度拝殿裏の御朱印受付場へ。
何も言わず、書置きを返却し、さっと購入の御朱印帳へ記帳して頂きました。
この後、さらに2種類の出雲大社の御朱印が頂けるところへ。
それは、出雲大社の東側に位置する北島国造館。
出雲国造の分裂で、千家さんは出雲大社教を、北島さんは出雲教を設立。
出雲教としてあるようです。
出雲大社の東側の社家通り。
こちらは、人影が殆どなく、静かな雰囲気の場所。
北島国造館の門をくぐると綺麗な庭園と滝があり、敷地内には出雲大社北島国造館御神殿、天神社があります。
ゆっくり、出雲大社境内へ。
(11:00~12:19)
出雲大社特有の2礼4拍手1礼(通常:二礼二拍手一礼)で拝殿・八足門に参拝。
境内で最大のパワースポット「素鵞社(そがのやしろ)」にも参拝。
以前来た際、素鵞社裏の山岩に向かって礼服姿の4-5名が参拝されていました。
元々、出雲大社ができる前はここが参拝場所で、パワースポットらしいと聞いていたので参拝しました。
参拝後、拝殿裏にある御朱印受付所で御朱印を拝受。
コロナ対策で書置きと言うことなので、300円を払い、隣接する神楽殿へ。
神楽殿方向を見ると日本一の国旗が見えます。
掲揚塔の高さは47m。
平安時代の御本殿の高さ48mより少し低いですが巨大です。
国旗の大きさは、13.6m×9m。
畳75畳分の大きさです。
ちなみに、伊勢神宮内宮の国旗は2.8mx4.3m。
出雲大社の方が約10倍大きいです。
この日は強風で、神楽殿に近づくと国旗が降ろす最中でした。
神楽殿に参拝。
こちらには、巨大なしめ縄が有名。
長さ13.5m、重さ4.5t。
以前に来たときは、しめ縄の房に硬貨を投げて刺さると願いが叶うと言われ、行いましたが、今はそのような方が居ませんでした。
よーく見ても、硬貨は挟まっていませんでした。
参拝後、横の御朱印受け付け場所で御朱印(300円)を拝受。
ここも書置きだと思っていましたが、新しい御朱印帳を購入の場合だけ直筆記帳していただけると言うことで、白・青の2種類のうち、青の御朱印帳(1,200円)を購入。
担当の方が、親切に拝殿側は書置きを購入していたら、これを持って書いてきて下さい。と教えていただいたので、再度拝殿裏の御朱印受付場へ。
何も言わず、書置きを返却し、さっと購入の御朱印帳へ記帳して頂きました。
この後、さらに2種類の出雲大社の御朱印が頂けるところへ。
それは、出雲大社の東側に位置する北島国造館。
出雲国造の分裂で、千家さんは出雲大社教を、北島さんは出雲教を設立。
出雲教としてあるようです。
出雲大社の東側の社家通り。
こちらは、人影が殆どなく、静かな雰囲気の場所。
北島国造館の門をくぐると綺麗な庭園と滝があり、敷地内には出雲大社北島国造館御神殿、天神社があります。
神殿には奉納を受ける参拝者がいましたが、静かな場所でした。
ここでも御朱印を拝受。(各300円)
コロナの影響で、書置きのみでしたが、出雲大社北島国造館御神殿、天神社の各御朱印を拝受。
~出雲教~
出雲教は、天穂日命(あめのほひのみこと:天照大神の第二の御子神で、御神勅により大国主大神に神勤奉仕された神)の子孫、出雲国造北島家に伝わる祭祀の道に従い、大神の御神徳を多くの人々に広め、教え導くことを主たる目的とする神道教団です。
教団としては明治15年5月11日、第76代北島脩孝(ながのり)国造により出雲大社の崇敬講として設立された「出雲北島教会」に始まり、明治16年に「神道出雲教会」、明治18年に「神道出雲教」と名称を変え、第77代齋孝(なりのり)国造に継承されて発展してきました。
昭和17年、第78代貴孝(よしのり)国造のとき「神道大教出雲教会」に改称されましたが、昭和26年の宗教法人法制定にともない昭和27年9月に宗教法人「出雲教」として認証を受け、第79代英孝(ふさのり)国造、第80代建孝(たけのり)国造に受け継がれて今日に到っています。
出雲教は幽事をつかさどられる大国主大神様にお仕えしお祀りするという北島国造家に伝わる出雲大社創建の精神を基として、出雲大社という神社と、その御神徳を広める教団としての出雲教とを区別し、出雲大社をお護りしています。
★出雲大社と北島国造館(出雲教)の違いは?
北島家が運営する宗教施設で神社ではありません。
出雲大社の神職は他の神社とは少し異なります。
一子相伝であるはずの宮司さんが2つのお家に分かれ、現在は大宮司を千家さんが、少宮司を北島さんが担当。
【国譲り神話】
天照大御神の使者が、大国主命に国譲りを迫った国譲り神話において、最初に派遣されたのは天穂日命(あめのほひ)という神様です。
しかし天穂日命は大国主命に惚れ込んでしまい、天照大御神の元には帰りませんでした。
以来ずっと、天穂日命は大国主命の元で働くようになりました。
この天穂日命こそ現在の出雲大社の宮司さんの祖先神なのです!
特に出雲大社の宮司さんは奈良時代に出雲の政治も担当する国造という職に就いておられました。
そんな理由もあって、出雲大社の宮司さんの事を出雲国造(いずもこくぞう)と呼ぶこともあるのです。
【出雲国造の分裂】
出雲国造は南北朝時代まで一子相伝でした。
しかし第55代の国造は病弱であり、弟に代を譲るとか、譲らないとかで揉め事になってしまいます。
それ以来、国造は千家と北島の二家に分裂し、以来どちらも出雲大社の宮司職である出雲国造を名乗ってきました。
現代の神社庁管轄下の宗教法人出雲大社の宮司は千家さんが担っておられます。
今は特に仲が悪いとかいうことではないようです。
教派神道が生まれた時代、千家さんは出雲大社教を、北島さんは出雲教を設立し布教してこられました。
時間もお昼時間。
(12:25~12:53)
神殿近くに戻り、駐車場近くにある「出雲蕎麦おくに」さんでカツ丼セット(1,500円税込)をいただきました。
島根ブランド豚・石見ポークのカツ丼と2段重の出雲そばがセット。
店内は、昼なので次第に20名前後のテーブルは、満席。
料理は10分程できましたが、揚げ置きした?カツ、事前にセットしていた?蕎麦のような感じ、味は普通と言っておきます。
蕎麦の麺が茹で過ぎの印象だったですが、これが出雲そばの特徴?
食事中にそば湯を持って来られたのが良かった点でした。
その後、出雲大社から徒歩約20分西方1kmにある海岸・稲佐の浜へ。
国譲り、国引きの神話で知られる浜です。
浜辺の奥に大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。
この浜は旧暦10月10日神在月(神迎祭)に、全国の八百万の神々をお迎えする浜です。ここの砂を出雲大社の素鵞社・御社殿の床縁下の御砂と交換するとご利益があるようです。
出雲大社からバスですぐですが、途中には出雲大社の末社が点在しているので歩くのがおすすめです。(徒歩約20分)
現在、浜辺付近は工事中で、神在月以降もさらに周辺が閉鎖されるようです。
この後、稲佐の浜バス停から日御碕神社に向けてバスに乗車。
13:25
1日数本しかないバスに乗車して、日御碕バス停で下車。(13:42)
下車すると日御碕神社の鳥居が見えてきます。
バスは、駐車場のようなところでバックで侵入して停車します。
わざわざ、道脇の神社参拝者向けにバス停がある感じでした。
私を含め3名が下車。
(折り返しのバスには2名はここから乗車していましたが、私は終点の日御碕灯台から乗車)
鳥居をくぐり、日御碕神社へ参拝。
参拝後、御朱印(書置き・300円)を拝受。
折り返しのバスが14時20分発。
灯台まで10分ぐらいで行けそうなので、日御碕灯台発のバスの時刻は14時17分。
滞在時間35分。(13:42~14:17)
神社に参拝して裏側の海側にも鳥居がありました。
海沿いの山道を10分程歩き、灯台に到着。
時間がないので、灯台の岩場から景色を見た後、バス停へ。
14:17
ここが始発ですが、2分程遅れて、どこかから到着。(先程と同車両)
14時40分、終点の出雲大社連絡所バス停に到着。
ここから徒歩で出雲大社駅前へ。
途中に仮設?郵便局があったので、初日印を聞くと600m先であると言うことなので、道を逸れて10分程歩いて大社郵便局で葉書に押していただきました。
すぐに押印していただき、来た道を戻り駅へ。
時間があったので、一畑電車・出雲大社前駅のホームに並行(構外)してデハニ50形・52形を見学。(日本最古級の電車)
この電車は、映画「RAILWAY」で最も多く登場したもので、2009年の営業終了後雲州平田駅で保存されていたものを映画公開に合わせ出雲大社駅前に展示されるようになったようです。
運転席は入れませんが、後ろからよく見えます。
車内の様子
無料開放されている車内には、映画出演・中井貴一さんの出演写真などが飾られていました。
15:35
出雲大社前駅から一畑電車・大社線(川跡行)の列車に乗車。
この時間帯は、2両編成の車内は、2割程の乗客が乗っていました。
川跡駅で乗換(15:46-15:49)
15時58分に出雲市駅に到着。
16:22
出雲市駅から特急スーパーおき4号(鳥取行)に乗車。
2両編成先頭の自由席窓側は、10数名が下車し、辛うじて座れた感じの混み具合。
写真の飲み物は、出雲市駅のコンビニで購入したものです。
宍道湖手前では雨が降り出し宍道湖周辺では車窓から虹が見えました。
8分後の出雲市駅発16時30分の後続特急やくも26号(岡山行)の自由席の乗客は多数並んでいましたが、今回は鳥取を経由して智頭急行線からスーパーはくとの気動車で大阪まで帰ります。
(岡山経由でやくも&新幹線で帰れば30分程早いですが、気動車特急の乗継乗車を体験)
18時16分、鳥取駅に到着。
一旦、改札を出て駅弁を購入。
時間が遅いので、2種類しか無く「砂丘鳥取 味の弁当」(850円)を購入。
シンプルですが、美味しく頂けました。
<お品書き>白飯(国産米)、煮物(里芋、椎茸、人参)、さわらフライ、焼さば、玉子焼、蒲鉾、きんぴら牛蒡、ひじき煮、さつまいも甘露煮、大根酢漬け、ウインナーソーセージ
列車は、鳥取を出発して智頭駅までJR因美線。
智頭からは上郡まで智頭急行線を走行。
今回の切符は、JR西日本のエリアで有効ですが、例外でこの智頭急行線も利用可能になっています。
上郡駅からは、JR山陽線。
指定席は、運転席の後方。
ここでも御朱印を拝受。(各300円)
コロナの影響で、書置きのみでしたが、出雲大社北島国造館御神殿、天神社の各御朱印を拝受。
~出雲教~
出雲教は、天穂日命(あめのほひのみこと:天照大神の第二の御子神で、御神勅により大国主大神に神勤奉仕された神)の子孫、出雲国造北島家に伝わる祭祀の道に従い、大神の御神徳を多くの人々に広め、教え導くことを主たる目的とする神道教団です。
教団としては明治15年5月11日、第76代北島脩孝(ながのり)国造により出雲大社の崇敬講として設立された「出雲北島教会」に始まり、明治16年に「神道出雲教会」、明治18年に「神道出雲教」と名称を変え、第77代齋孝(なりのり)国造に継承されて発展してきました。
昭和17年、第78代貴孝(よしのり)国造のとき「神道大教出雲教会」に改称されましたが、昭和26年の宗教法人法制定にともない昭和27年9月に宗教法人「出雲教」として認証を受け、第79代英孝(ふさのり)国造、第80代建孝(たけのり)国造に受け継がれて今日に到っています。
出雲教は幽事をつかさどられる大国主大神様にお仕えしお祀りするという北島国造家に伝わる出雲大社創建の精神を基として、出雲大社という神社と、その御神徳を広める教団としての出雲教とを区別し、出雲大社をお護りしています。
★出雲大社と北島国造館(出雲教)の違いは?
北島家が運営する宗教施設で神社ではありません。
出雲大社の神職は他の神社とは少し異なります。
一子相伝であるはずの宮司さんが2つのお家に分かれ、現在は大宮司を千家さんが、少宮司を北島さんが担当。
【国譲り神話】
天照大御神の使者が、大国主命に国譲りを迫った国譲り神話において、最初に派遣されたのは天穂日命(あめのほひ)という神様です。
しかし天穂日命は大国主命に惚れ込んでしまい、天照大御神の元には帰りませんでした。
以来ずっと、天穂日命は大国主命の元で働くようになりました。
この天穂日命こそ現在の出雲大社の宮司さんの祖先神なのです!
特に出雲大社の宮司さんは奈良時代に出雲の政治も担当する国造という職に就いておられました。
そんな理由もあって、出雲大社の宮司さんの事を出雲国造(いずもこくぞう)と呼ぶこともあるのです。
【出雲国造の分裂】
出雲国造は南北朝時代まで一子相伝でした。
しかし第55代の国造は病弱であり、弟に代を譲るとか、譲らないとかで揉め事になってしまいます。
それ以来、国造は千家と北島の二家に分裂し、以来どちらも出雲大社の宮司職である出雲国造を名乗ってきました。
現代の神社庁管轄下の宗教法人出雲大社の宮司は千家さんが担っておられます。
今は特に仲が悪いとかいうことではないようです。
教派神道が生まれた時代、千家さんは出雲大社教を、北島さんは出雲教を設立し布教してこられました。
時間もお昼時間。
(12:25~12:53)
神殿近くに戻り、駐車場近くにある「出雲蕎麦おくに」さんでカツ丼セット(1,500円税込)をいただきました。
島根ブランド豚・石見ポークのカツ丼と2段重の出雲そばがセット。
店内は、昼なので次第に20名前後のテーブルは、満席。
料理は10分程できましたが、揚げ置きした?カツ、事前にセットしていた?蕎麦のような感じ、味は普通と言っておきます。
蕎麦の麺が茹で過ぎの印象だったですが、これが出雲そばの特徴?
食事中にそば湯を持って来られたのが良かった点でした。
その後、出雲大社から徒歩約20分西方1kmにある海岸・稲佐の浜へ。
国譲り、国引きの神話で知られる浜です。
浜辺の奥に大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。
この浜は旧暦10月10日神在月(神迎祭)に、全国の八百万の神々をお迎えする浜です。ここの砂を出雲大社の素鵞社・御社殿の床縁下の御砂と交換するとご利益があるようです。
出雲大社からバスですぐですが、途中には出雲大社の末社が点在しているので歩くのがおすすめです。(徒歩約20分)
現在、浜辺付近は工事中で、神在月以降もさらに周辺が閉鎖されるようです。
この後、稲佐の浜バス停から日御碕神社に向けてバスに乗車。
13:25
1日数本しかないバスに乗車して、日御碕バス停で下車。(13:42)
下車すると日御碕神社の鳥居が見えてきます。
バスは、駐車場のようなところでバックで侵入して停車します。
わざわざ、道脇の神社参拝者向けにバス停がある感じでした。
私を含め3名が下車。
(折り返しのバスには2名はここから乗車していましたが、私は終点の日御碕灯台から乗車)
鳥居をくぐり、日御碕神社へ参拝。
境内に朱色の建物が上下にあります。
神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれます。
<日沉宮(下の宮)>
日沉宮拝殿は、日御碕神社社殿の中で最大の建物です。内部は上段の間と下段の間に分かれており、古文書によれば上段の間はかつて「神楽所」と呼ばれていたとされます。
日御碕神社は海に近く、風の影響を多く受ける立地であるため、これまでに幾度となく塩害や大風の被害を受けてきました。平成24年に神の宮本殿、平成25年に楼門が被害を受け、平成25年から28年にかけて修理が行われました。専門家によれば、日本で最も過酷な場所にある国指定建造物であるとも言われています。
<神の宮(上の宮)>
素盞嗚尊が祀られている神の宮は、現社殿背後の隠ヶ丘(かくれがおか)に祀られていたものを、安寧天皇13年に現在地に遷(うつ)したと伝わります。
神の宮本殿は、平成25年に屋根の葺き替えと金具補修、塗装の塗直しが行われました。
参拝後、御朱印(書置き・300円)を拝受。
折り返しのバスが14時20分発。
灯台まで10分ぐらいで行けそうなので、日御碕灯台発のバスの時刻は14時17分。
滞在時間35分。(13:42~14:17)
神社に参拝して裏側の海側にも鳥居がありました。
海沿いの山道を10分程歩き、灯台に到着。
時間がないので、灯台の岩場から景色を見た後、バス停へ。
14:17
ここが始発ですが、2分程遅れて、どこかから到着。(先程と同車両)
14時40分、終点の出雲大社連絡所バス停に到着。
ここから徒歩で出雲大社駅前へ。
途中に仮設?郵便局があったので、初日印を聞くと600m先であると言うことなので、道を逸れて10分程歩いて大社郵便局で葉書に押していただきました。
すぐに押印していただき、来た道を戻り駅へ。
時間があったので、一畑電車・出雲大社前駅のホームに並行(構外)してデハニ50形・52形を見学。(日本最古級の電車)
この電車は、映画「RAILWAY」で最も多く登場したもので、2009年の営業終了後雲州平田駅で保存されていたものを映画公開に合わせ出雲大社駅前に展示されるようになったようです。
運転席は入れませんが、後ろからよく見えます。
車内の様子
無料開放されている車内には、映画出演・中井貴一さんの出演写真などが飾られていました。
15:35
出雲大社前駅から一畑電車・大社線(川跡行)の列車に乗車。
この時間帯は、2両編成の車内は、2割程の乗客が乗っていました。
川跡駅で乗換(15:46-15:49)
車内には、「ご縁あみだくじ」が床に描かれていました。
後方車両は、違った色合いの床でした。
後方車両は、違った色合いの床でした。
15時58分に出雲市駅に到着。
16:22
出雲市駅から特急スーパーおき4号(鳥取行)に乗車。
2両編成先頭の自由席窓側は、10数名が下車し、辛うじて座れた感じの混み具合。
写真の飲み物は、出雲市駅のコンビニで購入したものです。
宍道湖手前では雨が降り出し宍道湖周辺では車窓から虹が見えました。
8分後の出雲市駅発16時30分の後続特急やくも26号(岡山行)の自由席の乗客は多数並んでいましたが、今回は鳥取を経由して智頭急行線からスーパーはくとの気動車で大阪まで帰ります。
(岡山経由でやくも&新幹線で帰れば30分程早いですが、気動車特急の乗継乗車を体験)
18時16分、鳥取駅に到着。
一旦、改札を出て駅弁を購入。
時間が遅いので、2種類しか無く「砂丘鳥取 味の弁当」(850円)を購入。
シンプルですが、美味しく頂けました。
<お品書き>白飯(国産米)、煮物(里芋、椎茸、人参)、さわらフライ、焼さば、玉子焼、蒲鉾、きんぴら牛蒡、ひじき煮、さつまいも甘露煮、大根酢漬け、ウインナーソーセージ
列車は、鳥取を出発して智頭駅までJR因美線。
智頭からは上郡まで智頭急行線を走行。
今回の切符は、JR西日本のエリアで有効ですが、例外でこの智頭急行線も利用可能になっています。
上郡駅からは、JR山陽線。
指定席は、運転席の後方。